内容要旨 | | tRNAは特異的なアミノアシルtRNA合成酵素(aaRS)によって認識され,対応するアミノ酸をその3’-CCA末端に受容する. tRNAのアミノ酸に対する特異性をtRNAアイデンティティーといい,tRNAアイデンティティーをつかさどっているtRNA上の因子(残基または官能基)をアイデンティティー決定因子という.20種類のaaRS(10種類ずつクラスIとクラスIIに分類される)が対応するtRNAのアイデンティティー決定因子を厳密に認識してtRNAに正しいアミノ酸を付加することによって,正常なタンパク質合成は維持される. ほとんどのtRNA/aaRSの系において,tRNAのアンチコドンかアクセプターアーム,もしくはその両方がtRNAの主要なアイデンティティー決定因子として機能している.典型的な例として,グルタミンの系では,グルタミニルtRNA合成酵素(GlnRS)はtRNAGlnのアンチコドンとアクセプターアームに位置するいくつかの残基を主に認識していることが知られている.一方,グルタミンの系と近縁のグルタミン酸の系の認識機構はほとんど知られていなかった.しかしながら,断片的な情報から,GlnRSとグルタミルtRNA合成酵素(GluRS)の類似性にも関わらず,tRNAGluはアンチコドンやアクセプターアーム以外の部位に主要なアイデンティティー決定因子をもっている可能性が示唆されていた.GluRSによるtRNAGluの認識機構を解明することによって,tRNAの新規の位置にaaRSの認識部位が同定されることが期待されただけでなく,よく研究されている近縁のグルタミンの系と比較することによって,aaRSがどのようにtRNAの認識機構を獲得してきたかを理解できると思われた. tRNAGluの主要なアイデンティティー決定因子はaugmented D helixに存在する エチルニトロソウレア(ENU)を用いたフットプリンティング解析によって,GluRSと相互作用しているtRNAGluのリン酸基を同定した.tRNAGluのアンチコドンアームに存在するリン酸基(37,38,39番の残基)とアクセプターステムに存在するリン酸基(5,6,7,67,68,69,70番の残基)は,GluRSによってENUから保護された(図1B).Dステムには,著しく強いエチル化からの保護がみられた(U11,C12,13,A24,C25,A26のリン酸基,図1B).GluRSと相互作用しているリン酸基はtRNAのL字型三次構造の一方の面に集中して存在しており,こちら側からGluRSが結合するらしいことがわかった.最も強いGluRSによるエチル化からの保護がtRNAGluのDステムにおいて見いだされたのは興味深い. つぎに,tRNAGluの塩基置換体を複数作製し,GluRSをもちいてグルタミン酸受容活性を測定することにより,tRNAGluのアイデンティティー決定因子のセットを明らかにした(図1B).アンチコドンループの4つの残基(U34,U35,C36,A37),アクセプターステムの2つの塩基対(G1・C72,U2・A71)はGluRSに対するtRNAGluのアイデンティティー決定因子である.さらに,augmented D helixのU11・A24,U13・G22・・A46,47(47番目の残基が存在しないこと)は最も重要なアイデンティティー決定因子であることが示された(図1B).これらの残基に変異を導入すると,kcat/Km値が野生型tRNAGlu転写物と比較して最大で1000倍以上にまで減少する. このアイデンティティー決定因子のセットが本当に機能するかを調べるために,tRNAGluの塩基配列にこれらの因子を移植し(図2),GluRSによるアミノアシル化反応を測定した.このtRNAGln変異体はGluRSにとってよい基質であり(図2B),アイデンティティー決定因子のセット(図1B)はtRNAGlnのアイデンティティーをGluに変換するのに十分であることがわかった.このアイデンティティーの変換には,tRNAGluのaugmented D helixの決定因子(U11・A24,U13・G22・・A46と47,図1B)のすべてを移植することが不可欠であった.このことは,これらの決定因子はGluRSによる認識に絶対に必要とされる因子であることを示している.主要なアイデンティティー決定因子がaugmented D helixに存在することが示されたのはこれがはじめてである. 図1.大腸菌tRNAGluとアイデンティティー決定因子.A,大腸菌tRNAGlu.B,反応速度論的解析によって明らかになったtRNAGluのアイデンティティー決定因子を白ぬき文字で示す.また,GluRSと相互作用するtRNAGluの領域をで示す(ENUフットプリンティング).図2.tRNAGlnのアイデンティティーのGluへの変換.A,大腸菌tRNAGln.tRNAGluとtRNAGlnの間で共通している残基を●で示した.〇はtRNAGluとtRNAGlnで共通している残基であるが,tRNAGluではアイデンティティー決定因子になっている残基であることを示す.B.アイデンティティーをGluに変換されたtRNAGln変異体.置換した残基を白ぬき文字で示す.それぞれのtRNAのGluRSによるアミノ酸受容活性(tRNAGlu転写物の活性を1とした相対値)をあわせて示す. 以上のENUフットプリンティングとtRNAGlu変異体の反応速度論的解析から得られた結果を総合して考察すると,augmented D helixの2つの塩基対U11・A24とU13・G22(図1B)は,Dステムのマイナーグルーヴ側でGluRSと直接結合している.A46と47はGluRSに直接接触してはいないが,GluRSによる認識に重要なU13・G22・・A46塩基トリプルを維持するのに不可欠らしい.A46と47はtRNAGluアイデンティティーにとっては間接的な要素だが,これらの要素がtRNAGlnのアイデンティティーをGluに変換するのに不可欠であったことも考えあわせると,これらの因子はアイデンティティー決定因子と呼ぶに相応しい. GluRSとGlnRSは同一起源をもつと考えられており,両者の三次構造は,特に活性中心を含むドメイン(ヌクレオチド結合ドメイン)に関して非常に類似している.しかしながら,GluRSとGlnRSのtRNAの認識の仕方は,互いに大変異なっていることが本研究によって明らかになった.tRNAGluでは,augmented D helixに位置するアイデンティティー決定因子の寄与が,アンチコドンループやアクセプターステムの因子の寄与よりはるかに大きい.これとは対照的に,グルタミンの系では,Dアームはあまり重要ではない.当研究室の濡木は,GluRSだけに存在する,ヌクレオチド結合ドメインへの特異的な挿入配列が,tRNAGluのDステムのアイデンティティー決定因子(U11・A24とU13・G22)を認識しているらしいことを明らかにした(Nureki et al.,1995).この事実は,上記のグルタミン酸とグルタミンの系における認識機構の大きな違いを説明する. クラスIaaRSの結合に共通なtRNAのフレームワーク 当研究室の舘野は,分子動力学計算によってGluRSとGlnRSそれぞれのtRNAとの結合の仕方を比較し,両者で共通しているtRNA上の接触部位が存在することを指摘した.すなわち,GluRSとGlnRSは,ともにtRNAの11から14番の残基,24から25番の残基,38から39番の残基に結合している.これらの残基は,上記のENUフットプリンティングにおいて保護された残基(図1B)とほぼ一致している.舘野によると,これらの接触部位は,GluRSとGlnRSだけでなく,(Tyr,Trpを除く)クラスIaaRSすべてに共通であるらしい.この仮説を検証するために,同じクラスIの酵素であるメチオニルtRNA合成酵素(MetRS)を用いてtRNAMetのENUフットプリンティング解析を行った(図3).その結果,MetRSも予想通りtRNAMetの上述した残基に結合することが明らかになった(図3A).一方,MetRSとGluRSのフットプリンティングにおける大きな違いは,グルタミン酸の系でみられたDステムの11から13番の残基にかけての極端に強い保護がメチオニンの系では検出されなかったことである(図3). これまでに報告されている他のクラスIaaRSによるフットプリンティング解析の結果を総合すると,(Tyr,Trpの系を除く)すべてのクラスIの系においてtRNAの共通接触部位は保存されているらしい.このことは,これらのクラスIaaRSにおいて保存されている共通のRNA結合部位が存在することを示唆している.そして,前述したtRNAGluのDステムを認識するためのGluRS特異的な挿入配列は,この共通配列の近傍に挿入されている(舘野,1995).tRNAGluのフットプリンティングにおいてDステムの11から13番の残基が非常に強く保護されたのは,この特異的な結合を反映しているものと思われる.以上から,クラスIaaRSは,共通のtRNA結合部位から出発し,その進化の課程においてそれぞれのtRNAを認識するための特異的な配列をその近傍に取り込むことによって厳密なtRNA認識機構を確立したものと考えくられる. 図3.MetRSとGluRSを用いたtRNAのフットプリンティング.A,tRNAMetのフットプリンティング解析.残基番号に対してR(MetRS存在下と比存在下における各バンド強度の比)をプロットした.R値が小さいほどMetRSによるENUからの保護が大きい.R値が1ならMetRSによって保護されないことを示す.破線は誤差範囲(±20%)を示す.B,tRNAGluのフットプリンティング解析.破線は誤差範囲(±15%)を示す.なお,図1Bので示した領域は,この結果を要約したものである. |
審査要旨 | | 正確なタンパク質合成は,アミノアシルtRNA合成酵素(aaRS)が,対応するtRNAを厳密に認識してそのCCA末端に適切なアミノ酸を付加することによって維持されている.aaRSはtRNA上に分布している特定の残基(アイデンティティー決定因子)を認識してアミノアシル化を行っており,それによってtRNAのアミノ酸特異性(tRNAアイデンティティー)は保持されている. 本論文は,グルタミルtRNA合成酵素(GluRS)がグルタミン酸tRNA(tRNAGlu)をどのように認識しているか(tRNAGluアイデンティティー)を明らかにしている.第1章では,フットプリンティングやtRNA変異体の反応速度論的解析を行うことによって,大腸菌の系におけるGluRSによるtRNAGluの認識機構を明らかにした.第2章では,高度好熱菌の系についてGluRSによるtRNAの認識機構を明らかにしている.また,高度好熱菌tRNAGluの塩基配列を決定し,GluRSとの複合体のX線結晶構造解析の予備的な結果を報告している.最終章では,クラスIaaRSが共通して接触するtRNA上の部位(共通接触部位)について検証を行っている. 本論文第1章ではまずはじめに,tRNAGluの修飾構造に関する解析を行っている.GluRSによる認識においてはtRNAGluの34位の修飾(mnm5s2U,5-メチルアミノメチル-2-チオウリジン)が重要であることが以前から知られている.本研究では,2位の修飾と5位の修飾それぞれの欠損株から得られたtRNAGluを研究することにより,2位と5位双方の修飾が独立しておこり得ることと,2位と5位それぞれの修飾のGluRSの活性におよぼす寄与について明らかにした.つぎに,エチルニトロソウレアを用いたフットプリンティング解析を行うことにより,GluRSがtRNAGluのどの部位にどのように結合しているのかを明らかにした.また,tRNAの変異体を複数作製し,GluRSをもちいて反応速度論的解析を行うことによって,tRNAGluのアイデンティティー決定因子のセットを確立した.この決定因子のセットは最も強い因子としてaugmented D helixの残基を含んでいた.これまでに研究されたtRNA/aaRSの系では,tRNAの主要なアイデンティティー決定因子はアンチコドンループやアクセプターアームに存在することが知られているが,本研究では興味深いことにaugmented D helixに位置する残基が主要なアイデンティティー決定因子として機能している系をはじめて見いだしている.また,独立に行われたフットプリンティングやtRNA変異体の反応速度論的解析の結果を総合してGluRSによるtRNAGluの認識機構を異なる角度から解明したという点で画期的である. 第2章では,変異体をもちいた反応速度論的解析を行い,高度好熱菌GluRSによるtRNAの認識機構を明らかにしている.そして,高度好熱菌の系における認識機構は大腸菌の系における機構と本質的に同じであることを明らかにする一方で,アンチコドン1文字目とアクセプターステムの塩基対の認識機構については双方の系で異なるように進化してきていることを示している.また,高度好熱菌tRNAGluの遺伝子を単離し,塩基配列を明らかにすることによって,tRNAGluのアイデンティティー決定因子の保存性を確認した.さらに,高度好熱菌GluRSとtRNAGluの複合体の結晶化に成功しており,予備的なX線結晶構造解析の結果を得ている.高度好熱菌の系をもちいたこれらの研究は,aaRSによるtRNAの認識機構を高次構造レベルで解明しようとするものであり,意義深い. 最終章では以上の研究結果をふまえたうえで,クラスIaaRSが共通して接触するtRNA上の部位(共通接触部位)について検証を加え,クラスIaaRSにはtRNAに結合するための共通構造が保存されているという仮説を提唱している.さらに,そのクラスIaaRSに共通の構造がaaRS活性化に関与している可能性を指摘し,クラスIaaRSはその共通構造にtRNAを認識するための特異的構造を取り込むことによって現在あるそれぞれの認識機構を確立したという進化論を展開するに到っている. 以上の研究において,tRNAのヌクレオシド組成分析,tRNAのフットプリンティング解析,tRNA変異体遺伝子の作製とT7RNAポリメラーゼをもちいたin vitro転写物の調製,アミノアシル化およびATP-PPi交換の反応速度論的解析,GluRSおよびtRNAの精製,高度好熱菌tRNAの塩基配列決定,ならびに高度好熱菌GluRSとtRNAGlu複合体の結晶化は,すべて論文提出者が主体となって行ったものであり,審査委員会は本論文提出者が博士(理学)の学位を受ける資格があるものと判定した.なお本論文は,東京大学の横山茂之教授,濡木理助手,坂本健作助手,舘野賢博士(現理化学研究所),新美達也博士(現山之内製薬),河野俊之博士(現三菱化学),名古屋大学の郷通子教授,Laval大学のJacques Lapointe教授,Anne Brisson博士,Yale大学のDieter Soll教授との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析および検証を行ったものであり,論文提出者の寄与が十分であると判断した. |