本論文は、有機化合物の磁性発現について、分子構造および結晶構造との関連を詳細に検討した結果について述べたものである。その内容は、次のように7章に分けられ、第1章は有機磁性体についての一般的バックグラウンドの概観、第2章は本研究で用いられた実験法の概要、第3章はホウ酸誘導体とニトロキシドラジカルの分子錯体における水素結合を介する強磁性的相互作用、第4章はホウ酸基を分子内にもつニトロキシドラジカルの磁気的性質、第5章はニトロキシドラジカル部位を含むホウ酸エステルの磁気的性質、第6章は三フッ化ホウ酸との反応で生成する反磁性塩、そして第7章では、縮合チオフェンのパイ共役を介するラジカル間の相互作用について、それぞれ記されている。 本論文の内容はいずれもオリジナリテイーの高いもので、特に、ホウ酸誘導体のヒドロキシル基をラジカル中心の原子に対して水素結合させることにより、分子間スピン相互作用の直接的経路を形成させるというアプローチは、これまでに例のない見事なアイデアと評価できる(第3章)。しかも、水素結合を挟んで5個の原子が介在することになるホウ酸を用いたことにより、強磁性的相互作用を実現させたことは特筆に値する。本論文中で使われている「分子間強磁性カップラー」の開発に、成功したとみなすことができよう。 本論文では、「分子間強磁性カップラー」の創出とともに、同一分子内にラジカル中心とホウ酸基を持つ分子の設計も行っており(第4章および5章)、その水素結合による結晶構造制御とスピン伝達経路の形成にもまた成功を収めている。このアプローチもまたバルクの磁性発現に新たな方法論を切り開いたものと認められる。 以上の研究の過程で発見された、三フッ化ホウ素の異常反応と反磁性塩の生成も興味深い実験結果である(第6章)。この現象を論文提出者が見逃さなかったことは、本論文に述べられた実験全体の緻密さを物語るものである。 分子間での磁気的相互作用に対しヘテロ原子間の相互作用を利用する点も本論文の大きな成果である。ニトロキシドラジカルの酸素原子に対し硫黄原子を接触させることにより、ラジカル中心のスピンを直接的に硫黄原子に伝達させようという考えである。この目的でチオフェン環を含むラジカル種を分子設計し、その磁気的相互作用に、期待通りの硫黄・酸素相互作用を見いだしている(第7章)。 以上の通り、本論文の内容は、水素結合およびヘテロ原子相互作用を分子間スピン伝達の経路として利用すると同時にバルクの結晶構造制御にも用いて、有機磁性体を創出しようとする研究であり、アイデア、成果、実験量、および実験の精度、および解釈ともすべて博士論文として十分に評価することができる。また、随所に述べられている有機磁性体の背景説明も的確であり、学識も豊富であると判断する。 本論文で述べられた研究のアイデアが論文提出者みずからのものであることは、本論文の研究の流れをたどれば明白である。また,当然のことながら、実験の詳細についても自分自身で苦心しながら成果に結びつけたことは第2章を見れば明らかである。従って、本論文の成果の幾つかは協同研究によるものであるが、内容の殆どは論文提出者が主体となって推進したもので、論文提出者の寄与が十二分に認められる。 以上の審査により、本論文提出者に対し、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。 |