視床下部は内臓諸器官からの求心性情報や液性環境を受容し、それらを統合して適切な自律機能変化や行動発現として出力する機構を備えており、内部環境の恒常性維持に中心的な役割を果たしている脳領域である。視床下部は多数の神経核から構成されているが、1つの神経核が複数の生体機能の制御に関わるというような多機能性が見られ、特定の入力に対応して複数の生体機能を協調して変化させる機構として効率的なものであると考えられる。視床下部腹内側核(VMH)は視床下部の中でも特に多機能性の際だつ神経核の1つで、摂食抑制、交感神経系興奮、代謝促進、走行運動の誘起、サーカディアンリズムや睡眠パターンの修飾など、多くの自律的機能の調節に関与している。このようなVMHの多機能性を保証する機構の1つとして、筆者はVMHには単独で多くの機能制御に関与しているニューロンが存在するに違いないと考えた。本研究においては、多ニューロン発射活動(MUA)記録法を用いて、無麻酔無拘束の雄成熟ラットのVMHより自発発火活動を記録し、特定のVMH機能と相関する神経活動の探索を行った。その結果、持続時間1-4分の間欠的なバースト状神経活動、すなわちMUA volleyがVMH特異的に記録できることが明かとなり、この神経活動を指標に以下のような実験を行い、VMHによる多機能の協調的制御機構の解明を試みた。 第1章においては、MUA volley出現の日内変動および睡眠、摂食との関係について検討した。予めラットのVMH内にプラチナーイリジウム製MUA記録用電極を慢性的に刺入固定した。回復後、無麻酔無拘束下でMUAの持続的記録を行ったところ、MUA volleyはラットの非活動期である明期には15-30分周期で出現し、活動期である暗期には出現頻度は減少するという日内変動が観察された。眼球を摘出し、行動リズムが自由継続中の動物においても主観的明期に頻繁に出現することから、この日内変動は内因性サーカディアンリズムであることが示唆された。このような出現パターンはラットにおける睡眠パターン、すなわち明期に多く出現し、1睡眠周期が20分程度であることと類似しているため、睡眠と関連していると考え、睡眠段階との相関を検討した。睡眠段階の判定には皮質脳波、眼球運動および頚筋の筋電図を用いた。その結果、MUA volleyは常にレム睡眠と同期して出現することが明かとなった。しかし、MUA volleyの開始は皮質脳波の脱同期に遅れることから、このVMHニューロンの興奮はレム睡眠の誘起に関わるというよりも、むしろレム睡眠を開始させる神経機構により二次的に引き起こされるものではないかと考えられた。一方、MUA volleyの開始はレム睡眠期における心拍の減少に先行もしくは同期しており、MUA volleyの終了も心拍の反動的な増加に同期していたため、レム睡眠期にはVMHにより自律神経活動の変化を通じて心拍の減少がもたらされている可能性が考えられた。 VMHは満腹中枢として摂食制御に関与していること、睡眠と摂食量には相関があることなどから、このVMHニューロンが摂食制御にも関わっている可能性が考えられた。そこで、絶食時に近い代謝性変化を誘起し、摂食を促進することが知られている2,5-anhydro-D-mannitol(2,5-AM:200-800mg/kg,i.v.)を末梢投与したところ、高用量でMUA volleyの出現頻度は有意に減少し、逆にグルコース(1g/kg,i.v.)の投与では増加する傾向が見られた。このことから、MUA volleyを示すニューロンは末梢における代謝性変化を神経性あるいは液性の経路を介して感知し、摂食を抑制するトーンを形成する機能を持つことが示唆された。また、2,5-AMによりMUA volleyが抑制されているときには睡眠も抑制されていると考えられ、このニューロン群は栄養状態や代謝の情報を逆に睡眠中枢に伝達している可能性も考えられた。さらに、このVMHニューロンの活動は睡眠や摂食調節に関与していることで知られる神経伝達物質である5-HT(10g/head,i.c.v.)やGABA作動薬であるmuscimol(2mg/kg i.v.)により抑制されることも明かとなった。 MUA volley出現時に心拍数の低下が見られたことから、このVMHニューロン群が自律神経活動調節にも関わっている可能性が考えられた。そこで、第2章ではウレタン麻酔下において、MUA volleyと自律神経活動との関係を追究した。睡眠状態とは異なると考えられる麻酔下の動物においても、出現頻度は減少するものの同様のMUA volleyが記録できたことから、この神経活動は基本的にはVMHより自発的に起こるものであり、レム睡眠中枢から入力のあった場合には一義的に修飾されるような性質を持つものと考えられた。MUA volleyに同期して心拍数と末梢血圧の降下が観察され、さらにMUA volleyの記録された電極を通じた2分間の電気刺激(矩形波:200msec,80A,20-100Hz)により降圧効果が再現されたことから、これらのVMHニューロンが循環の抑制性調節を行っていることが明かとなった。MUA volleyの記録されなかった電極を通じて電気刺激を行うと昇圧反応が起こる例があったことから、VMHには循環器系に対し促進性と抑制性のニューロンが混在することが示された。また、このようなVMHによる循環抑制の下行性経路を調べる目的で、血管運動領野として交感神経活動の変化を通じて循環機能調節に重要な役割を果たしている延髄吻側腹外側核(RVL)を経由している可能性を検討した。VMHおよびRVLそれぞれにMUA記録用電極を植え込み、心拍、血圧と共に同時記録した結果、VMHのMUA volley出現と同期してRVLのMUAは心拍数や血圧の低下とともに特異的に低下することが示された。このRVLのMUAは昇圧剤であるphenylephrine(10g/kg,i.v.)により圧反射を誘起すると低下すること、またMUA記録用電極からの10秒間の電気刺激、(矩形波:200msec,20-40A、100Hz)により昇圧反応が誘起されたことから、記録を行ったRVLニューロンは血管運動ニューロンであると考えられた。これらのことから、MUAvolleyを示すVMHニューロンはRVLの血管運動ニューロンの抑制を介して、レム睡眠時の交感神経活動の抑制を担っていることが示唆された。 本研究における以上の結果より、MUA volleyを示すVMHニューロン群の興奮性制御およびその機能発現に関わる求心性および遠心性経路は以下のように考えられる。このニューロン群の興奮性制御に関与する入力系としては(1)レム睡眠誘発機構による促進、(2)摂食を促進するような末梢の代謝性変化による抑制、の2つが考えられた。(1)については、レム睡眠期には5-HTニューロンの活動が低下し、5-HTによる抑制から脱抑制されることによりMUA volleyが出現するという機構が考えられ、また(2)については、2,5-AMにより誘起されるような肝臓での代謝の変化を神経性に伝達する経路や、血糖値低下によりVMHにおいて放出が促進されるGABAによる抑制が考えられた。一方、血中グルコースは脳内に取り込まれてVMHニューロンに直接作用し、MUA volleyの出現頻度を増加させることも考えられる。 機能発現に関わる出力系としては、(1)摂食の抑制、(2)交感神経活動の抑制、(3)睡眠誘発機構の促進、の可能性が考えられた。(1)については具体的な神経経路は明らかではないものの、レム睡眠誘発機構の活動が高まっている明期には興奮頻度が上昇し、摂食を抑制するという生理的意義を持つと考えられる。(2)については、RVLの血管運動ニューロンの活動を抑制し、交感神経の活動を抑制して循環や代謝機能の変化を引き起こす経路が考えられ、レム睡眠中の体温維持などに関与すること考えられた。一方、摂食量と睡眠量は相関することが知られているが、血糖値が低下する絶食時などにはこのニューロン群の興奮性が低下することにより睡眠誘発機構が抑制され、覚醒時間や行動量を増加させることも考えられ、(3)のような機能を持つ可能性が考えられた。このように、睡眠や代謝の情報を摂食や自律神経活動に反映させ、さらに摂食・代謝の情報を睡眠にも反映させるというように、摂食・代謝、睡眠、自律神経活動制御系がMUA volleyを示すVMHニューロンを介してクロストークしていると考えられた。 結論として、本研究で筆者が見いだしたMUA volleyはこのVMHニューロン群固有の活動を表すものと考えられ、従来交感神経興奮性の神経核と考えられていたVMHに、レム睡眠期に特異的な活動を示す交感神経抑制性ニューロンが混在し、睡眠や摂食、循環器系の制御を担っていることが示唆された。このようにVMHにおいてサーカディアンリズムを示すMUA volleyは、本能行動である睡眠と摂食を協調的に制御し、夜行性動物においては明期に睡眠を取り、暗期に食物を求めるという生存のために必須なリズムを形成し、さらにそれらに付随する様々な生理反応の発現に貢献していると考えられた。 |