学位論文要旨



No 111984
著者(漢字) 平澤,みちる
著者(英字)
著者(カナ) ヒラサワ,ミチル
標題(和) 視床下部腹内側核に特異的な神経活動とその機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 111984
報告番号 甲11984
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1700号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 教授 菅野,茂
 東京大学 助教授 局,博一
 東京大学 助教授 森,裕司
 東京大学 助教授 西原,真杉
内容要旨

 視床下部は内臓諸器官からの求心性情報や液性環境を受容し、それらを統合して適切な自律機能変化や行動発現として出力する機構を備えており、内部環境の恒常性維持に中心的な役割を果たしている脳領域である。視床下部は多数の神経核から構成されているが、1つの神経核が複数の生体機能の制御に関わるというような多機能性が見られ、特定の入力に対応して複数の生体機能を協調して変化させる機構として効率的なものであると考えられる。視床下部腹内側核(VMH)は視床下部の中でも特に多機能性の際だつ神経核の1つで、摂食抑制、交感神経系興奮、代謝促進、走行運動の誘起、サーカディアンリズムや睡眠パターンの修飾など、多くの自律的機能の調節に関与している。このようなVMHの多機能性を保証する機構の1つとして、筆者はVMHには単独で多くの機能制御に関与しているニューロンが存在するに違いないと考えた。本研究においては、多ニューロン発射活動(MUA)記録法を用いて、無麻酔無拘束の雄成熟ラットのVMHより自発発火活動を記録し、特定のVMH機能と相関する神経活動の探索を行った。その結果、持続時間1-4分の間欠的なバースト状神経活動、すなわちMUA volleyがVMH特異的に記録できることが明かとなり、この神経活動を指標に以下のような実験を行い、VMHによる多機能の協調的制御機構の解明を試みた。

 第1章においては、MUA volley出現の日内変動および睡眠、摂食との関係について検討した。予めラットのVMH内にプラチナーイリジウム製MUA記録用電極を慢性的に刺入固定した。回復後、無麻酔無拘束下でMUAの持続的記録を行ったところ、MUA volleyはラットの非活動期である明期には15-30分周期で出現し、活動期である暗期には出現頻度は減少するという日内変動が観察された。眼球を摘出し、行動リズムが自由継続中の動物においても主観的明期に頻繁に出現することから、この日内変動は内因性サーカディアンリズムであることが示唆された。このような出現パターンはラットにおける睡眠パターン、すなわち明期に多く出現し、1睡眠周期が20分程度であることと類似しているため、睡眠と関連していると考え、睡眠段階との相関を検討した。睡眠段階の判定には皮質脳波、眼球運動および頚筋の筋電図を用いた。その結果、MUA volleyは常にレム睡眠と同期して出現することが明かとなった。しかし、MUA volleyの開始は皮質脳波の脱同期に遅れることから、このVMHニューロンの興奮はレム睡眠の誘起に関わるというよりも、むしろレム睡眠を開始させる神経機構により二次的に引き起こされるものではないかと考えられた。一方、MUA volleyの開始はレム睡眠期における心拍の減少に先行もしくは同期しており、MUA volleyの終了も心拍の反動的な増加に同期していたため、レム睡眠期にはVMHにより自律神経活動の変化を通じて心拍の減少がもたらされている可能性が考えられた。

 VMHは満腹中枢として摂食制御に関与していること、睡眠と摂食量には相関があることなどから、このVMHニューロンが摂食制御にも関わっている可能性が考えられた。そこで、絶食時に近い代謝性変化を誘起し、摂食を促進することが知られている2,5-anhydro-D-mannitol(2,5-AM:200-800mg/kg,i.v.)を末梢投与したところ、高用量でMUA volleyの出現頻度は有意に減少し、逆にグルコース(1g/kg,i.v.)の投与では増加する傾向が見られた。このことから、MUA volleyを示すニューロンは末梢における代謝性変化を神経性あるいは液性の経路を介して感知し、摂食を抑制するトーンを形成する機能を持つことが示唆された。また、2,5-AMによりMUA volleyが抑制されているときには睡眠も抑制されていると考えられ、このニューロン群は栄養状態や代謝の情報を逆に睡眠中枢に伝達している可能性も考えられた。さらに、このVMHニューロンの活動は睡眠や摂食調節に関与していることで知られる神経伝達物質である5-HT(10g/head,i.c.v.)やGABA作動薬であるmuscimol(2mg/kg i.v.)により抑制されることも明かとなった。

 MUA volley出現時に心拍数の低下が見られたことから、このVMHニューロン群が自律神経活動調節にも関わっている可能性が考えられた。そこで、第2章ではウレタン麻酔下において、MUA volleyと自律神経活動との関係を追究した。睡眠状態とは異なると考えられる麻酔下の動物においても、出現頻度は減少するものの同様のMUA volleyが記録できたことから、この神経活動は基本的にはVMHより自発的に起こるものであり、レム睡眠中枢から入力のあった場合には一義的に修飾されるような性質を持つものと考えられた。MUA volleyに同期して心拍数と末梢血圧の降下が観察され、さらにMUA volleyの記録された電極を通じた2分間の電気刺激(矩形波:200msec,80A,20-100Hz)により降圧効果が再現されたことから、これらのVMHニューロンが循環の抑制性調節を行っていることが明かとなった。MUA volleyの記録されなかった電極を通じて電気刺激を行うと昇圧反応が起こる例があったことから、VMHには循環器系に対し促進性と抑制性のニューロンが混在することが示された。また、このようなVMHによる循環抑制の下行性経路を調べる目的で、血管運動領野として交感神経活動の変化を通じて循環機能調節に重要な役割を果たしている延髄吻側腹外側核(RVL)を経由している可能性を検討した。VMHおよびRVLそれぞれにMUA記録用電極を植え込み、心拍、血圧と共に同時記録した結果、VMHのMUA volley出現と同期してRVLのMUAは心拍数や血圧の低下とともに特異的に低下することが示された。このRVLのMUAは昇圧剤であるphenylephrine(10g/kg,i.v.)により圧反射を誘起すると低下すること、またMUA記録用電極からの10秒間の電気刺激、(矩形波:200msec,20-40A、100Hz)により昇圧反応が誘起されたことから、記録を行ったRVLニューロンは血管運動ニューロンであると考えられた。これらのことから、MUAvolleyを示すVMHニューロンはRVLの血管運動ニューロンの抑制を介して、レム睡眠時の交感神経活動の抑制を担っていることが示唆された。

 本研究における以上の結果より、MUA volleyを示すVMHニューロン群の興奮性制御およびその機能発現に関わる求心性および遠心性経路は以下のように考えられる。このニューロン群の興奮性制御に関与する入力系としては(1)レム睡眠誘発機構による促進、(2)摂食を促進するような末梢の代謝性変化による抑制、の2つが考えられた。(1)については、レム睡眠期には5-HTニューロンの活動が低下し、5-HTによる抑制から脱抑制されることによりMUA volleyが出現するという機構が考えられ、また(2)については、2,5-AMにより誘起されるような肝臓での代謝の変化を神経性に伝達する経路や、血糖値低下によりVMHにおいて放出が促進されるGABAによる抑制が考えられた。一方、血中グルコースは脳内に取り込まれてVMHニューロンに直接作用し、MUA volleyの出現頻度を増加させることも考えられる。

 機能発現に関わる出力系としては、(1)摂食の抑制、(2)交感神経活動の抑制、(3)睡眠誘発機構の促進、の可能性が考えられた。(1)については具体的な神経経路は明らかではないものの、レム睡眠誘発機構の活動が高まっている明期には興奮頻度が上昇し、摂食を抑制するという生理的意義を持つと考えられる。(2)については、RVLの血管運動ニューロンの活動を抑制し、交感神経の活動を抑制して循環や代謝機能の変化を引き起こす経路が考えられ、レム睡眠中の体温維持などに関与すること考えられた。一方、摂食量と睡眠量は相関することが知られているが、血糖値が低下する絶食時などにはこのニューロン群の興奮性が低下することにより睡眠誘発機構が抑制され、覚醒時間や行動量を増加させることも考えられ、(3)のような機能を持つ可能性が考えられた。このように、睡眠や代謝の情報を摂食や自律神経活動に反映させ、さらに摂食・代謝の情報を睡眠にも反映させるというように、摂食・代謝、睡眠、自律神経活動制御系がMUA volleyを示すVMHニューロンを介してクロストークしていると考えられた。

 結論として、本研究で筆者が見いだしたMUA volleyはこのVMHニューロン群固有の活動を表すものと考えられ、従来交感神経興奮性の神経核と考えられていたVMHに、レム睡眠期に特異的な活動を示す交感神経抑制性ニューロンが混在し、睡眠や摂食、循環器系の制御を担っていることが示唆された。このようにVMHにおいてサーカディアンリズムを示すMUA volleyは、本能行動である睡眠と摂食を協調的に制御し、夜行性動物においては明期に睡眠を取り、暗期に食物を求めるという生存のために必須なリズムを形成し、さらにそれらに付随する様々な生理反応の発現に貢献していると考えられた。

審査要旨

 視床下部は末梢からの求心性情報を受容・統合して、適切な自律機能や行動を出力する機能を備えており、内部環境の恒常性維持に中心的な役割を果たす脳領域である。視床下部は多数の神経核から構成されているが、1つの神経核が複数の生体機能を制御することが一般に認められる。視床下部腹内側核(VMH)は特に多機能性の際だった神経核で、摂食の抑制、交感神経系の興奮、代謝の促進、走行運動の誘起、行動の概日リズムや睡眠パターンの修飾などの機能が知られている。このような多様な機能が1つの神経核に集中しているからには、それらを協調的に統御する機構が共存している筈であるというのが申請者の仮説で、本論文はこの仮説の証明にあてられている。本論文は2章からなり、1章では申請者が発見したニューロン群の同定と特徴の解析を行い、2章ではこのニューロン群と自律神経活動との関係を論じている。最終的に申請は本研究で新たに発見されたニューロン群を、REM sleep-related sympatho-static neuron(RRSS neuron)、すなわち「レム睡眠連関交感神経抑制ニューロン」と命名することを提唱している。

 まず1章では、MUA記録法を用いて、VMHに存在するニューロンの自発発火活動を記録することで特定のVMH機能と相関する神経活動の探索を行ったところ、間欠的なバースト状の神経活動、すなわちMUA volleyを特異的に記録することに成功している。このMUA volleyの発現に参画しているニューロン群がRRSSニューロンである。このニューロンの活動は日内変動を伴っており、明期には15-30分周期で出現するが、暗期には不規則かつ著しく出現頻度が低下していた。このリズムは内因性概日リズムに駆動されていることが推定され、さらに興味深いことに、常にレム睡眠と同調して出現することが明らかにされている。種々検討の結果、RRSSニューロンはレム睡眠中枢からの情報を受け、レム睡眠期に起きる心拍の減少などの、VMHが指令する複数の自律神経活動の制御を実行しているニューロン群であるとの結論に達している。この結論は極めて興味のあるもので、結論に至る推論過程は合理的である。

 また、このRRSSニューロンは、グルコースの利用を阻害して摂食を促進する作用のある2、5-AMの投与で活動が抑制され、逆にグルコースの投与で活動が促進されることを見い出し、さらに摂食や、睡眠調節に関与していることが知られている神経伝達物質の5-HTやGABAにより活動が抑制されることを見い出している。これらを総合して、RRSSニューロンは基本的には固有の神経活動を表出できるニューロンであるが、レム睡眠中枢から入力があった場合は、一義的にそれに従うニューロンであろうと推定している。

 2章では、ウレタン麻酔下においてRRSSニューロンと自律神経活動の関係をさらに詳細に検討している。ここでとりあげている自律神経活動の例は、心拍数と血圧である。一般にVMHは過去の電気刺激実験において、交感神経興奮性の神経核と信じられてきたが、興味あることに、RRSSニューロンの活動期には、心拍数、血圧ともに低下すること、つまり交感神経抑制性の機能が発現していることが示された。申請者はRRSSニューロン記録電極からの電気刺激でこの効果が再現されることを示すとともに、この効果は、交感神経節前ニューロンの活動レベルを調節して、血圧や心拍数を制御している延髄の吻側腹外側核(RVL)の機能を抑制することで発現していることを証明した。そして、これらを踏まえて、VMHニューロンの中には確かに心拍数、血圧を上昇させるニューロンも存在するが、RRSSニューロンはこれらと異なるものであるという結論に達している。この結論と、前章で得られたこの神経活動がレム睡眠と一義的に連関しているとの結果を総合して、レム睡眠が何故生命維持にとって重要なのかを、自律神経活動調節の面から論じており、興味深い。

 以上の如く、本研究はVMHから記録された特異的なMUA volleyを終始対象にして、その性質を詳細かつ広範囲に解析したものであって、申請者が同定したニューロンは新たにRRSSニューロンと命名するに相応しい内容を有すると評価された。この成果は基礎神経生物学分野で高く評価されると共に、将来各種動物の行動と代謝の制御などの応用研究にも大きな示唆を与えている。よって審査委員一同は申請者に対して博士(獣医学)の学位を授与してしかるべきものと判定した。

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