学位論文要旨



No 111946
著者(漢字) 廣瀬,太郎
著者(英字)
著者(カナ) ヒロセ,タロウ
標題(和) 三陸大槌湾におけるチカの資源生物学的研究
標題(洋)
報告番号 111946
報告番号 甲11946
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1662号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川口,弘一
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 沖山,宗雄
 東京大学 助教授 谷内,透
 東京大学 助教授 渡邊,良朗
内容要旨

 チカ Hypomesusu pretiosusu japonicusは本州東北地方太平洋沿岸、北海道、朝鮮半島、沿海州から千島列島にかけて分布する沿岸性の漁獲対象種である。チカの属するキュウリウオ科は、両側回遊を行う種、陸封型の種、完全に海で生活史を終える種など様々な生活史パターンを示すことが知られている。しかし、チカの生活史に関する研究はこれまでほとんど行われておらず、不明な点も多い。そこで本研究では大槌湾を研究の場としてチカの成長、成熟、性比、産卵習性、初期生活史および食性を明らかにし、それら生活史特性をもちいて、近年漁獲量に頼らない資源量推定法の一つとして注目されている「卵数法」のチカへの適用を試みた。

1.大槌湾におけるチカの成長と成熟

 大槌湾におけるチカの成長と成熟を知るため、1991年2月から1995年3月まで、二ヶ月に一回以上大槌湾のできる限り複数ヶ所でチカの採集を行った。そして各採集標本の年齢別、雌雄別平均体長と平均体重を求めた。年齢は仔魚の出現状況から5月1日を孵化日と仮定して求めた。

(1)成長

 平均体長と平均体重は各年級群間および雌雄で差が見られず、全てをまとめると以下の式で表された。

 BW=6.25×10-6SL3.09(r2=0.99)

 BW: 平均体重(g) SL: 平均体長(mm)

 チカ当歳魚の成長はロジスティック、ゴンペルツ、フォン ベルタランフィのいずれの曲線でもよく表された。また、大槌湾のチカの成長には年変動があることが明らかとなった。その例として1991-1994年級群の雌の成長(ゴンペルツ曲線)を以下に示す。

 1991年級群 SL=107.7exp(-exp(0.77-0.008t))(r2=0.87)

 1992年級群 SL=131.7exp(-exp(1.22-0.014t))(r2=0.99)

 1993年級群 SL=125.9exp(-exp(0.98-0.011t))(r2=0.96)

 1994年級群 SL=131.6exp(-exp(1.06-0.009t))(r2=0.98)

 t:孵化日からの経過日数 SL:孵化日からt日経過後の体長(mm)

(2)成熟

 生殖腺重量指数(GSI)の周年変化と生殖線の組織学的観察から、大槌湾におけるチカの成熟は雌雄ともに11月頃始まり、産卵期は4月を中心に年に1回であることが明らかとなった。また、雄は産卵期初期までに成熟するのに対し、雌では完熟時期に個体差が見られた。

 雌の卵径組成と組織学的観察の結果からチカは同時1回産卵型であることが明らかとなった。また、産卵期間中に産卵場で採集した雄ではGSIが産卵期の進行とともに漸減する傾向が見られたこと、および精巣の組織学的観察の結果より同一の個体が複数回放精することが明らかとなった。

 大槌湾におけるチカの体長に対する孕卵数の関係は同一年級群間では以下の様な良い相関が認められたが、年級群間では有意差が認められた。また成長の良い年級群では体長あたりの孕卵数も多くなることが明らかとなった。

 1991年級群 Fec=440.4exp(0.023SL)(r2=0.81)

 1993年級群 Fec=801.7exp(0.021SL)(r2=0.96)

 1994年級群 Fec=969.3exp(0.018SL)(r2=0.66)

 Fec: 孕卵数 SL: 体長(mm)

(3)性比

 チカの群の性比は当歳魚の産卵期前では1:1であるが、産卵期直前と産卵期間中に著しく性比の偏った群が採集された。産卵期終了後、性比はほぼ1:1に戻った。これは各調査年に共通する傾向であり、チカの群は産卵期間中、性的に分雌することが明らかとなった。

2.産卵習性と産卵場形成の要因(1)産卵行動

 1992年から1995年の産卵期に赤磯浜で産卵の観察を行い、以下のことを明らかにした。

 産卵群の赤磯浜への来遊から産卵にいたるまでの過程は、日没直後の薄暮時に浜へ来遊し,やや沖合いで成群する群泳期(gathering stage)、暗くなる直前に産卵場である汀線付近への接近と離脱を繰り返す接近期(aproaching stage)、暗くなった直後の汀線付近で産卵行動を起こす産卵期(spawning stage)の3段階に分けることができた(図1)。これらの段階は産卵が行われる際は必ず同じ順序で観察された。1992年、1993年、の産卵は浜で最も粗い砂粒で構成された地点のみで行われたが、1994年はその地点に障害物(倒木)が存在したため産卵場が日によって数カ所に分散した。1995年には障害物がなくなり産卵場は元の地点に戻った。いずれの年も産卵前の2つの行動パターンは同じ場所で確認されており、この一連の3段階の行動パターンはチカの産卵場決定に関してそれぞれが強く結びつきプログラムされた行動であると考えられた。

図1.チカの産卵行動の模式図と赤磯浜における産卵場(a)は群泳期、(b)は接近期、(c)は産卵期を示す。(c)の斜線で示された地点は1992-1993年と1995年に産卵が行われた地点。黒丸は1994年に本来の産卵場が倒木で覆われた際に産卵が観察された地点。

 チカの産卵は常に1尾の雌と複数尾の雄によって、引き波の際に行われた。産卵期間を通して産卵群の性比が雄に偏っていたことや生殖腺の組織学的所見からも、雄は複数回産卵場に来遊すると考えられた。また、産卵期間中1+歳以上の採集個体数の全体に占める割合は雌で0.4%、雄で2%程度であり、湾内におけるチカの再生産はそのほとんどが当歳魚により行われていると考えられる。

 目視により産卵規模を推定したところ、1992年〜1995年のいずれの年においても産卵のピークは満月の大潮時に観察された。チカの卵は付着卵であるが卵塊を形成しないので、分散することにより有効に被食回避していると考えられる。大潮時にはチカの産卵時刻と引潮が同時に起こり、より効果的に卵が沖合いに分散していると考えられる。

(2)産卵場形成の要因

 赤磯浜をはじめチカの産卵が確認された浜は砂粒の中央粒径値が1mm以上で、産卵のない浜に比べてより粗い砂で構成されていることが明らかとなった。産卵が行われた浜についてみると、産卵が行われる場所は粒径2mm以上の砂礫を中心に構成されており、その中に卵が最も高い頻度で付着している粒径0.5〜2mmの砂が存在することが産卵場形成の必要条件であることがわかった。このことは卵の付着基質の存在とともに、砂礫の間隙の広さすなわち産卵後の卵への酸素供給等の条件が産卵場の選択に強く関係しているためであると考えられる。

3.初期生活史(1)卵の分布

 卵の分布を調査するため、1992年から1995年の各産卵期に赤磯浜において、汀線付近から沖合いに向け3〜6本の測線を設け卵採集調査を行った。卵は産卵場の沖合いを中心に分布するが、海水流動による移動分散が観察された。また産卵場が分散した1994年には、分散した産卵場沖にも卵が多く分布した。

(2)卵の発生段階と水温の関係

 チカの卵の発生を産卵直後から孵化まで10の発生段階に区分した。また、実験室において6〜12℃の各水温において各発生段階に到達するまでの産卵後経過日数を調査したところ、いずれの発生段階においても水温と産卵後経過日数はよい相関がみられた。この関係を利用し、1994年と1995年に現場で採集した卵の発生段階と現場水温から産卵日を推定した。採集された卵の産卵日の分布をみると、1994年、1995年とも満月の大潮周辺に最も大きなピークのあることが明らかとなり、実際の観察と一致した。

(3)仔魚の分布

 チカ仔魚の鉛直および水平分布を知るために、1991年と1992年に根浜および赤磯浜沖で仔魚の採集調査を行った。その結果チカの仔魚は水深3〜7mの地点の海底直上に分布し、その分布は卵の分布よりさらに広い範囲に分散していることが明らかとなった。

(4)仔魚の孵化日組成

 現場調査を行うに先立ち耳石日周輪の検証を、孵化からの追跡と蛍光物質による耳石標識の2つの方法で行い、チカの耳石に現れる輪紋数が日齢を表すことを証明した。これを用いて1994年に赤磯、根浜、および小鎚河口で採集した仔魚の耳石日周輪から孵化日組成を推定した。その結果採集場所によらず孵化日のピークはほぼ一致しており、その孵化日から逆算した産卵日は大潮時にあたっていた。

4.摂餌生態

 チカの摂餌リズムを現場採集と飼育実験により調査した。その結果チカは夜間に摂餌は行わず、昼間に摂餌をすることがわかった。チカの胃内容物を定性的に調査したところ、主にカイアシ類等の小型甲殻類を食べていたが、その組成は採集場所により変化し、幅広い食性を示した。

5.卵数法による資源量推定のチカへの応用

 1995年3月30日〜5月8日に赤磯浜で8回の卵の定量採集を行った。採集卵の発生段階と現場水温から産卵日を求め、産卵日から採集日までの期間中の生残率を推定した。その結果各期間によって生残率が異なることが明らかとなった。得られた産卵日組成、生残率、採集卵数と採集面積から毎日の産卵量を推定し、1995年の平均成長および体長と孕卵数の関係から赤磯浜での産卵のピークと産卵総数を推定した。その結果赤磯浜での1995年の産卵総数は約700万粒で、産卵に参加した雌の総数は約1000尾であると推定された。

審査要旨

 チカHypomesus pretiosus japonicusは本州東北地方太平洋沿岸、北海道、朝鮮半島、沿海州から千島列島にかけて分布する沿岸性の漁獲対象種である。チカの属するキュウリウォ科は、両側回遊を行う種、陸封型の種、完全に海で生活史を終える種など様々な生活史パターンを示すことが知られている。しかしチカの生活史に関する研究はこれまでほとんど行われておらず、不明な点も多い。本研究は三陸地方大槌湾を研究の場としてチカの成長、成熟、産卵習性、初期生活史および食性を明らかにし、それら生活史特性をもちいて、近年漁獲量に頼らない資源量推定法の一つとして注目されている「卵数法」のチカへの適用を試みたものである。

 第1章ではチカ及び調査対象地とチカ漁業についてのべている。

 第2章では大槌湾におけるチカの成長と成熟様式を5ヶ年の採集データに基づき明らかにしている。チカの成長は6月から10月までが早く、11月以降成熟開始とともに停滞し、満1歳で90〜120mm程度まで成長すること、成長には年変動があることを明らかにしている。また成熟に関しては生殖腺重量指数(GSI)の周年変化と生殖腺の組織学的観察から、大槌湾におけるチカの成熟は雌雄ともに11月頃始まり、産卵期は4月を中心に年に1回であることを示し、成熟にも年変動があることを明らかにした。また雌雄の成熟様式の差について検討し、雄が雌よりも早熟であり複数回放精するのに対し、雌が同時1回産卵であることを明らかとし、産卵場における性比の偏りの原因を解明した。さらに成熟を開始する条件についても検討を加え、秋口に水温が15℃以下に低下すること、およびその時点での体長が80mm以上に達していることが本種の成熟開始の必要条件となることを明らかにした。

 第3章ではチカの産卵習性を現場での産卵行動の観察を通して明らかにし、産卵と時刻、潮汐リズムおよび産卵場の環境との関連性を解明している。本種の産卵行動は夕刻より産卵場沖に群れ始める群泳期、産卵場に接近する接岸期および産卵が行われる産卵期の3つのステージからなり、それらが必ず同じ順序で繰り返されることを示した。また湾内数カ所の産卵場の環境データを収集し、産卵場形成要因として本種の産卵場である砂浜域潮間帯の砂礫粒度組成が強く関係することを解明した。これらのことは本種の産卵場の保全を考える上で最も重要な知見である。

 第4章では卵、仔魚の分布様式を明らかにし、分布を決定する要因について考察している。また人工受精卵を用いて卵発生段階と水温の関係を実験的に明らかにし、現場水温と採集卵の発生段階から産卵日の推定を行った。さらに近年多くの魚種で用いられている耳石日周輸を用いる方法により、湾内数カ所で採集した仔魚の孵化日組成が一致することを示し、湾内での産卵や孵化が一斉に行われることを明らかにした。あわせて現場における仔魚の成長様式を明らかにした。

 第5章では第2章から第4章まで得られた生活史特性をもとに、1995年産卵期に産卵場のひとつである赤磯浜における産卵日組成と採集卵数から各採集日間の生残率、総産卵数および赤磯浜で産卵に参加した親魚の資源量の推定を試みている。このような試みは今後チカの資源管理を行う際の基礎的な知見となると考えられる。

 第6章ではチカの胃内容物を調査し、さらに空胃率および胃内容物重量指数の周年変化と摂餌の日周リズムを調査した。その結果として本種の摂餌生態の一端を明らかにした。

 以上本論文は、三陸地方大槌湾におけるチカの生活史の全貌を現場における観察、調査および飼育実験に基づいて解明し、水産学および魚類生態学上多くの新知見を得ている。これらの知見は、チカ資源の管理、変動予測に不可欠のみならず、沿岸生態系における砂浜域の重要性をも明らかにしている。よってこれらの成果は学術上、応用上十分価値のあるものと認め、審査委員一同は申請者が博士(農学)に値するものと判断した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53913