蛋白質の機能の中で、糖と蛋白質間の相互作用は、発生、分化、血液型認識などの生命現象における基本的な分子認識の一つである。糖鎖は限られた富能基で構成され化学的性質が似通っているため、精巧な認識機構が存在していると考えられ、また、X線結晶構造解析により分子レベルではいくつかの一般的な特徴が見出されてきた。本論文はこのような背景のもとて遺伝子工学(部位特異的変異法)及び精密構造解析を用いて糖加水分解酵素であるリゾチームによる糖の認識機構を詳細に解析し、さらにその機能変換を目指したものである。また部位特異的改変法とは別の視点から、ファージ提示システムを利用して新規酵素を創製することも試みている。この方法は、繊維状ファージを用いて無作為な膨大な蛋白質遺伝子ライブラリーから目的の機能をもつ蛋白質を選択するものであり、酵素の非常に精巧な触媒機構の維持を優先させながら、目的の基質特異性を有する新規酵素を創成するのに有利な蛋白質工学における新しい方法である。従って論文は内容的には2部からなり、一般的な背景説明の後、第1部ではリゾチームの機能変換と構造解析を、第2部では新規なファージ提示系の開発と応用について述べている。しかし後者はまだ方法の開発の段階にあり、本論文の主要な内容は専ら第1部に含まれている。 第1部は4章から成っているが、第1章はTrp62/Asp101/Asn37変異によりリゾチームの機能改変を行った結果である。ニワトリ卵白リゾチームは細胞壁糖鎖のペプチドグリカンのN-アセチルムラミン酸とN-アセチルグルコサミンの間の1-4グリコシド結合を加水分解し、溶菌活性を示す。遺伝子工学を用いてリゾチームの基質結合部位に存在するTrp62、Asp101とAsn37に対して各種C型(Chicken型)リゾチームの構造と機能の比較から適当なアミノ酸置換を組み合わせた様々な改変体を作製したが、それらは基質結合様式に違いが見られた。Trp62→TyrやTrp62→Phe改変体が基質結合様式の許容度の広がりに伴う活性の上昇を示した。また、Trp62→His改変体は野生型では少ない基質結合様式(B-F)を優先した。一連のTrp62の改変とAsp101及びAsn37の改変の組み合わせによるTrp62→His/Asp101→Gly二重改変体は、設計通り最もB-Fの結合様式を好むものであった。 第2章はTrp62改変体の機能解析とNMRによる構造解析の結果である。Trp62が糖-蛋白質の相互作用に一般的に見られる特徴(インドール環とB糖疎水面とのvan der Waals相互作用、及びインドール環の窒素とC糖の6位の酸素などの秩序だった水素結合のネットワーク)を持つことに着目し、このアミノ酸をターゲットとして実験を行った。Trp62を脂肪族アミノ酸に改変することによりこの糖基質に対する加水分解活性が大幅に低下した(野生型に対して15%以下)。62番目の残基を芳香環をもつアミノ酸に置換した改変体(Trp62→Tyr,Phe改変体)では活性が維持されることから芳香環と糖疎水面との相互作用の重要性が示された。他方、Micrococuss lysodeikticusの菌体に対する溶菌活性は野生型に比べて全ての脂肪族アミノ酸置換体で活性の上昇が見られ、最も高い活性を示したTrp62→Leu改変体で野生型に比べて2.5倍であった。更にTrp62→Gly改変体でも十分な活性が残っているため、この溶菌活性にはTrp62は必須ではなかった。更にTrp62改変体について、NMRによる構造解析を行った。Trp62の改変により全体構造には大幅な変化が見られなかったが、Trp62を含む活性部位周辺のループ領域と触媒残基を含むシート領域に局所的な構造変化が示唆された。 第3章と第4章は、Trp62改変体と基質類似体との複合体のX線結晶構造解析の結果である。活性部位のアミノ酸置換による糖分子認識機構の変化を理解するためには、改変体酵素と基質との複合体の立体構造を直接解析する必要がある。そこで、合成基質に対する活性の上昇したTrp62→TyrとTrp62→Phe改変体と基質類似体である(GlcNAc)3との複合体をX線結晶構造解析を行った。結晶中の基質結合様式が上述の基質結合様式のずれと完全に一致し、また結合定数などのデータも相関がみられた。他方、糖-タンパク質の相互作用は芳香環が糖の疎水面を認識している状態を維持しているが、基質糖鎖の比較的コンフォメーション変化の可能な6位の酸素が適当な位置にずれ、新たな水分子を含む水素結合のネットワークが形成されていた。このように糖-タンパク質相互作用において一般的によくみられる相互作用を微妙に変化させ、さらには基質糖鎖側の誘導結合により認識されることが基質結合様式の許容度を広げ、活性の上昇を起こすと考えられた。 第2部ではリゾチームをファージの外殻タンパク質のplllに融合させることにより繊維状ファージ表面に提示するファージミドplll提示系を検討した。このファージに提示する系には色々な問題が存在していたが、従来の方法を改良し、plll融合タンパク質の発現を抑えることで様々なタンパク質を安定に提示することができるような新規なファージミドplll提示系を確立した。この系により、リゾチームおよびアルカリフォスファターゼを安定にファージ表面に提示することができた。これらは、ファージミドを利用して酵素をファージ表面に提示した最初の研究例である。現在のところ、安定な提示系の確立が達成できた段階であるが、今後、このファージ提示系を用いて、無作為アミノ酸置換と機能ドメインの導入などを行うことで新たなタンパク質を創成しうる研究基盤が構築できた。 以上要するに本論文は蛋白質蛋白質工学を用いてリゾチームの糖認識機構を詳細に解明し、機能変換を試みたものであり、工学的に価値が高い研究である。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |