学位論文要旨



No 111878
著者(漢字) 前仲,勝実
著者(英字)
著者(カナ) マエナカ,カツミ
標題(和) タンパク質の機能変換と精密構造解析
標題(洋)
報告番号 111878
報告番号 甲11878
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3676号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 教授 古崎,新太郎
 東京大学 教授 干鯛,眞信
 東京大学 助教授 相田,卓三
 東京大学 講師 上田,卓也
内容要旨 研究目的と背景

 タンパク質の機能の中で、糖とタンパク質問の相互作用は生命現象(発生、分化、血液型認識など)における基本的な分子認識の一つである。糖鎖は限られた官能基で構成され化学的性質が似通っているため、精巧な認識機構が存在していると考えられ、また、X線結晶構造解析により分子レベルではいくつかの一般的な特徴が見出されてきた。本研究ではこのような背景のもとで遺伝子工学(部位特異的変異法)及び精密構造解析を用いて糖加水分解酵素であるリゾチームの糖の認識機構の解析及びその機能変換を目的とした。

 更に、部位特異的改変から進めて、無作為な膨大なライブラリーから目的の機能をもつタンパク質を選択することを目的として、繊維状ファージを用いた新たな遺伝子工学的実験系に着目した。これは、繊維状ファージ遺伝子の一部に目的タンパク質の遺伝子を組み込むことにより、ファージ表面にそのタンパク質を提示するシステムであり、タンパク質上の機能部位とファージ内部の対応する遺伝情報を一体化できるので、無作為の変異を導入した膨大なファージライブラリーから目的の機能を持つファージだけを選択することが可能である。このファージの系を酵素分子に応用することにより、酵素の非常に精巧な触媒機構の維持を優先させながら、目的の基質特異性を有する新規酵素を創成することを目指した。

リゾチームの機能変換と構造解析1.Trp62/Asp101/Asn37変異によるリゾチームの機能改変

 ニワトリ卵白リゾチームは細胞壁糖鎖のペプチドグリカンのN-アセチルムラミン酸とN-アセチルグルコサミンの間の1-4グリコシド結合を加水分解し、溶菌活性を示す。また、N-アセチルグルコサミンの多量体のキチンも加水分解する。このリゾチームは6個の糖結合部位(A-F)を持つ(図1)。遺伝子工学を用いてリゾチームの基質結合部位に存在するTrp62、Asp101とAsn37に対して各種C型(Chicken型)リゾチームの構造と機能の比較から適当なアミノ酸置換を組み合わせた様々な改変体を作製した。まず、ニワトリリゾチームのTrp62改変体の合成基質PNP-(GlcNAc)5を加水分解する活性を調べた(GlcNAc:N-アセチルグルコサミン)。この合成基質はリゾチームの持つ6つの糖環結合部位(A-F)にGlcNAcの5量体部分がA-EとB-Fの主に2種類の基質結合様式を経て加水分解すると考えられた(Trp62はB結合部位に属する、図2)。一連のTrp62改変体で様々な基質結合様式のずれが生じた(表1)。Trp62→TyrやTrp62→Phe改変体が基質結合様式の許容度の広がりに伴う活性の上昇を示した。また、Trp62→His改変体は野生型では少ない基質結合様式(B-F)を優先した。同じC型リゾチームのヒト型と七面鳥型との比較からAsp101とAsn37をGlyに置換した。A結合部位の相互作用を減らすと考えられるAsp101→Gly改変体は設計通りB-Fの結合様式を好むように変換され、F結合部位の相互作用を減らすと考えられるAsn37→Gly改変体は逆に作用させることに成功した(表2)。更に一連のTrp62の改変とAsp101及びAsn37の改変を組み合わせて、Trp62→His/Asp101→Gly二重改変体を作製したところ、設計通り最もB-Fの結合様式を好む改変体を作製することができた。

図1.ニワトリリゾチーム活性部位の基質結合様式図2.合成基質PNP-(GlcNAc)5のリゾチーム活性部位への結合様式(1)PNP-GlcNAcを生成する結合様式 (2)PNP-(GlcNAc)2を生成する結合様式
2.Trp62改変体の機能及びNMRによる構造解析

 更にTrp62が糖-タンパク質の相互作用に一般的に見られる特徴を持つことに着目した。糖-タンパク質の相互作用の分子レベルで共通に見られる特徴には(1)芳香環と糖疎水面とのvan der Waals相互作用、(2)"協同的"水素結合、(3)水分子の関与、などがある。特にリゾチームのB結合部位に属するTrp62は糖-タンパク質間の相互作用において一般的によく見られる2つの特徴を持つ(図1、3)。1つは、インドール環とB糖疎水面とのvan der Waals相互作用であり、2つ目はインドール環の窒素とC糖の6位の酸素などの秩序だった水素結合のネットワークである。そこで、このTrp62を芳香環も官能基も持たない脂肪族系のアミノ酸残基に改変することにより、その芳香環の持つ一般的に見られる糖-タンパク質相互作用の持つ役割を様々な基質糖鎖を用いた機能解析とNMRによる改変タンパク質の構造解析を組み合わせて評価することにした。

 ニワトリリゾチームのTrp62を脂肪族アミノ酸(Leu,lle,Val,Ala)及びGlyに置換した改変体を作製した。まず、前述と同じく、Trp62改変体の合成基質PNP-(GlcNAc)5を加水分解する活性を調べた。Trp62を脂肪族アミノ酸に改変することによりこの糖基質に対する加水分解活性が大幅に低下した(野生型に対して15%以下)。また、同じく合成基質であるキチンの誘導体(グリコールキチン)に対する加水分解活性も大幅な低下(野生型に対して10%以下)を示した(表1)。両基質に対して62番目の残基を芳香環をもつアミノ酸に置換した改変体(Trp62→Tyr,Phe改変体)では活性が維持されることから芳香環と糖疎水面との相互作用の重要性が示された。また、PNP-(GlcNAc)5に対する基質結合様式について見るとTrp62→Leu改変体が野生型と同じようにA-E結合部位に基質糖鎖を結合させやすいのに対して、Trp62→Ala改変体は逆にB-F結合部位に結合させやすくなっており、他の一連のTrp62改変体でも様々な基質結合様式のずれが生じた。62番目残基のアミノ酸の原子レベルでの性質がこのような基質結合様式の変化をもたらすことがわかった。他方、Micrococuss lysodeikticusの菌体に対する溶菌活性は野生型に比べて全ての脂肪族アミノ酸置換体で活性の上昇が見られ、最も高い活性を示したTrp62→Leu改変体で野生型に比べて2.5倍であった。更にTrp62→Gly改変体でも十分な活性が残っているため、この溶菌活性にはTrp62は必須ではなかった。

図表表1.62番目残基改変体ニワトリリゾチームのPNP-(GlcNAc)5に対する加水分解活性 野性型のtotalの活性を100%とする. (1)PNP-(GlcNAc)を生成する相対活性 (2)PNP-(GlcNAc)2を生成する相対活性 total PNP-(GlcNAc)5を分解する相対活性 / 表2.37.62.101番目残基改変体ニワトリリゾチームのPNP-(GlcNAc)5に対する加水分解活性 野性型のtotalの活性を100%とする. (1)PNP-(GlcNAc)を生成する相対活性 (2)PNP-(GlcNAc)2を生成する相対活性 total PNP-(GlcNAc)5を分解する相対活性図表図.3 野生型リゾチームと基質類似体(GlcNAc)3との複合体のステレオ図(GlcNAc)3はA-B-C結合部位に存在する。 / 表3.62番目残基改変体ニワトリリゾチームの酵素活性

 更にTrp62改変体について、NMRによる構造解析を行った。Trp62の改変により全体構造には大幅な変化が見られなかったが、Trp62を含む活性部位周辺のループ領域と触媒

 残基を含むシート領域に局所的な構造変化が示唆された(図4)。また、改変タンパク質毎にその変化の種類及び程度に差が見られたことから、62番目のアミノ酸置換は側鎖構造自体の糖に対する相互作用を変化させるだけではなくTrp62周辺の局所構造の微妙な変化を誘起しているが示峻された。

3.Trp62改変体と基質類似体との複合体のX線結晶構造解析

 活性部位のアミノ酸置換による糖分子認識機構の変化を理解するためには、改変体酵素と基質との複合体の立体構造を直接解析する必要がある。そこで、機能解析で観測された合成基質に対する活性の上昇したTrp62→TyrとTrp62→Phe改変体と基質類似体である(GlcNAc)3との複合体を1.8Aの高分解能でX線結晶構造解析を行った。野生型とは全体構造にほとんど変化がみられなかった。結晶中の基質結合様式を調べたところ、上述の基質結合様式のずれと完全に一致し、また結合定数などのデータもほぼ同じ様な明かな相関がみられた。他方、糖-タンパク質の相互作用は芳香環が糖の疎水面を認識している状態を維持しているが、基質糖鎖の比較的コンフォメーション変化の可能な6位の酸素が適当な位置にずれ、新たな水分子を含む水素結合のネットワークが形成されていた(図5)。このように糖-タンパク質相互作用において一般的によくみられる相互作用を微妙に変化させ、さらには基質糖鎖側の誘導結合により認識されることが基質結合様式の許容度を広げ、活性の上昇を起こすと考えられた。

図表図4 ニワトリリゾチームのリボンモデル Trp62→Gly変異により化学シフトの変化が0.05ppm以上であった所を黒く示した。 / 図5 野生型および各改変体とGlcNAcオリゴマーとの相互作用の様子(a)野生型、(b)Trp62→Tyr改変体、(c)Trp62→Phe改変体
新規なファージ提示系の開発と応用

 これまで行ってきた遺伝子工学の手法を用いたリゾチームの部位特異的改変による機能解析とX線結晶構造解析による分子レベルでの糖に対する認識機構の解析の結果を踏まえて、今後は部位特異的変異法を発展させ、有効な機能部位を無作為にアミノ酸置換することにより膨大なライブラリーを作製し、この中から新規機能を持つ酵素を選択する方法を確立し、酵素の大幅な機能変換を目指している。

 リゾチームをファージの外殻タンパク質のplllに融合させることにより繊維状ファージ表面に提示するファージミドplll提示系を検討した(図6)。このファージに提示する系には色々な問題が存在していたが、従来の方法を改良し、plll融合タンパク質の発現を抑えることで様々なタンパク質を安定に提示することができるような新規なファージミドplll提示系を確立した。この系により、ファージ表面にリゾチームが提示されていることを、リゾチームファージと抗リゾチーム抗体の結合をELISAにより確認した(図7)。また、アルカリフォスファターゼなども安定にファージ表面に提示することができた。これらは、ファージミドを利用して酵素をファージ表面に提示した最初の研究例である。現在のところ、安定な提示系の確立が達成できた段階であるが、今後、このファージ提示系を用いて、無作為アミノ酸置換と機能ドメインの導入などを行うことで新たなタンパク質を創成しうる研究基盤を構築できたと考えている。

図6 リゾチームのファージ提示系の図図7 ELISA法によるリゾチームファージと抗リゾチーム抗体(single-chain HyHEL10Fv,anti-HEL polyclonal antibodies)との結合の確認M13K07:ヘルバーファージ、pLLZ:リゾチームファージ、pLLZR:negative control
審査要旨

 蛋白質の機能の中で、糖と蛋白質間の相互作用は、発生、分化、血液型認識などの生命現象における基本的な分子認識の一つである。糖鎖は限られた富能基で構成され化学的性質が似通っているため、精巧な認識機構が存在していると考えられ、また、X線結晶構造解析により分子レベルではいくつかの一般的な特徴が見出されてきた。本論文はこのような背景のもとて遺伝子工学(部位特異的変異法)及び精密構造解析を用いて糖加水分解酵素であるリゾチームによる糖の認識機構を詳細に解析し、さらにその機能変換を目指したものである。また部位特異的改変法とは別の視点から、ファージ提示システムを利用して新規酵素を創製することも試みている。この方法は、繊維状ファージを用いて無作為な膨大な蛋白質遺伝子ライブラリーから目的の機能をもつ蛋白質を選択するものであり、酵素の非常に精巧な触媒機構の維持を優先させながら、目的の基質特異性を有する新規酵素を創成するのに有利な蛋白質工学における新しい方法である。従って論文は内容的には2部からなり、一般的な背景説明の後、第1部ではリゾチームの機能変換と構造解析を、第2部では新規なファージ提示系の開発と応用について述べている。しかし後者はまだ方法の開発の段階にあり、本論文の主要な内容は専ら第1部に含まれている。

 第1部は4章から成っているが、第1章はTrp62/Asp101/Asn37変異によりリゾチームの機能改変を行った結果である。ニワトリ卵白リゾチームは細胞壁糖鎖のペプチドグリカンのN-アセチルムラミン酸とN-アセチルグルコサミンの間の1-4グリコシド結合を加水分解し、溶菌活性を示す。遺伝子工学を用いてリゾチームの基質結合部位に存在するTrp62、Asp101とAsn37に対して各種C型(Chicken型)リゾチームの構造と機能の比較から適当なアミノ酸置換を組み合わせた様々な改変体を作製したが、それらは基質結合様式に違いが見られた。Trp62→TyrやTrp62→Phe改変体が基質結合様式の許容度の広がりに伴う活性の上昇を示した。また、Trp62→His改変体は野生型では少ない基質結合様式(B-F)を優先した。一連のTrp62の改変とAsp101及びAsn37の改変の組み合わせによるTrp62→His/Asp101→Gly二重改変体は、設計通り最もB-Fの結合様式を好むものであった。

 第2章はTrp62改変体の機能解析とNMRによる構造解析の結果である。Trp62が糖-蛋白質の相互作用に一般的に見られる特徴(インドール環とB糖疎水面とのvan der Waals相互作用、及びインドール環の窒素とC糖の6位の酸素などの秩序だった水素結合のネットワーク)を持つことに着目し、このアミノ酸をターゲットとして実験を行った。Trp62を脂肪族アミノ酸に改変することによりこの糖基質に対する加水分解活性が大幅に低下した(野生型に対して15%以下)。62番目の残基を芳香環をもつアミノ酸に置換した改変体(Trp62→Tyr,Phe改変体)では活性が維持されることから芳香環と糖疎水面との相互作用の重要性が示された。他方、Micrococuss lysodeikticusの菌体に対する溶菌活性は野生型に比べて全ての脂肪族アミノ酸置換体で活性の上昇が見られ、最も高い活性を示したTrp62→Leu改変体で野生型に比べて2.5倍であった。更にTrp62→Gly改変体でも十分な活性が残っているため、この溶菌活性にはTrp62は必須ではなかった。更にTrp62改変体について、NMRによる構造解析を行った。Trp62の改変により全体構造には大幅な変化が見られなかったが、Trp62を含む活性部位周辺のループ領域と触媒残基を含むシート領域に局所的な構造変化が示唆された。

 第3章と第4章は、Trp62改変体と基質類似体との複合体のX線結晶構造解析の結果である。活性部位のアミノ酸置換による糖分子認識機構の変化を理解するためには、改変体酵素と基質との複合体の立体構造を直接解析する必要がある。そこで、合成基質に対する活性の上昇したTrp62→TyrとTrp62→Phe改変体と基質類似体である(GlcNAc)3との複合体をX線結晶構造解析を行った。結晶中の基質結合様式が上述の基質結合様式のずれと完全に一致し、また結合定数などのデータも相関がみられた。他方、糖-タンパク質の相互作用は芳香環が糖の疎水面を認識している状態を維持しているが、基質糖鎖の比較的コンフォメーション変化の可能な6位の酸素が適当な位置にずれ、新たな水分子を含む水素結合のネットワークが形成されていた。このように糖-タンパク質相互作用において一般的によくみられる相互作用を微妙に変化させ、さらには基質糖鎖側の誘導結合により認識されることが基質結合様式の許容度を広げ、活性の上昇を起こすと考えられた。

 第2部ではリゾチームをファージの外殻タンパク質のplllに融合させることにより繊維状ファージ表面に提示するファージミドplll提示系を検討した。このファージに提示する系には色々な問題が存在していたが、従来の方法を改良し、plll融合タンパク質の発現を抑えることで様々なタンパク質を安定に提示することができるような新規なファージミドplll提示系を確立した。この系により、リゾチームおよびアルカリフォスファターゼを安定にファージ表面に提示することができた。これらは、ファージミドを利用して酵素をファージ表面に提示した最初の研究例である。現在のところ、安定な提示系の確立が達成できた段階であるが、今後、このファージ提示系を用いて、無作為アミノ酸置換と機能ドメインの導入などを行うことで新たなタンパク質を創成しうる研究基盤が構築できた。

 以上要するに本論文は蛋白質蛋白質工学を用いてリゾチームの糖認識機構を詳細に解明し、機能変換を試みたものであり、工学的に価値が高い研究である。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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