学位論文要旨



No 111714
著者(漢字) 土屋,勇一
著者(英字)
著者(カナ) ツチヤ,ユウイチ
標題(和) 小腸膜結合性新規プロテアーゼに関する研究
標題(洋)
報告番号 111714
報告番号 甲11714
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3078号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 教授 宮島,篤
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 助教授 室伏,擴
 東京大学 助教授 榎森,康文
内容要旨

 ウイルス・微生物から高等動物・植物に至るまでほぼすべての生物に広く存在するプロテアーゼは、哺乳類においても、蛋白質の消化のみならず、血液凝固系や補体系、さらには免疫系やアポトーシスへの関与など、生体内の機能調節因子として広範かつ非常に重要な役割を担っている。

 このようなプロテアーゼの多様かつ重要な生理機能に関する研究の中でも、近年最も進歩を遂げた分野の一つとして、前駆体活性化の分子機構の研究がある。ペプチドホルモンや生理活性ペプチドなどは最初前駆体として合成され、細胞内の特定器官内で、特定のArg残基、特にArg-Arg/Lys-Argといった塩基性アミノ酸対を含む部位において厳密な限定分解を受けることが明らかになった。したがって前駆体活性化に関与するプロセシングプロテアーゼもこの配列を特異的に認識し切断すると考えられ、脳や肝臓においては古くから、生化学的および分子生物学的手法により、酵素の実体を明らかにする試みがなされてきた。

 小腸は食物の消化・吸収を行う重要な器官であるが、生体恒常性の維持や腸管免疫系といった高次機能をも司っている.その制御の担い手として脳に匹敵する複雑な神経系を持つことが知られており、多様な生理活性ペプチドが発現している。小腸における生理活性ペプチド前駆体の活性化も、特定のArg残基に特異性を持つ細胞内膜結合性プロテアーゼによってなされると推定されるが、そのような酵素は従来同定されていなかった。そこで本研究では、前駆体プロセシングに関与する可能性のある酵素の条件として、

 ○膜画分、特に小胞体などの細胞内小器官が回収されるミクロソーム画分に含まれる、membrane-bound/membrane-associatedな酵素であること

 ○トリプシン様活性(特にArg残基のC端側を切断する)活性を持つこと

 という二点を条件とし、大量に入手しやすいブタ小腸粘膜を用いて、合成基質によるスクリーニングを行った。その結果、Boc-Gln-Ala-Arg-MCAを最も良い基質とする新規膜結合性プロテアーゼの活性を見出すことができた。本研究では、この新規酵素の完全精製および生化学的解析、cDNAクローニングの試み、および生体内基質と生理機能についての考察を行った。

 界面活性剤による可溶化および各種クロマトグラフィーにより、本酵素を十万倍以上に精製することに成功した。各種プロテアーゼ阻害剤等の効果より本酵素は、作業仮説通りトリプシン様基質特異性を持つセリンプロテアーゼであることが明らかとなった。ゲルろ過および非還元SDS-PAGEでは分子量50kDaを示すが、還元SDS-PAGEでは32kDaであり、ホモダイマーを形成していると推測される(図1)。

図1 SDS-PAGE

 ペプチド基質に対しては、表1に示すとおり、Arg-Arg/Arg-Lysの塩基対の間に高い特異性を持つことが明らかになった。また非特異的な蛋白質基質に対してはまったく作用しなかった。さらに本酵素の部分アミノ酸配列を決定したところ、トリプシンファミリーに高い相同性を持ちながらも全く新規の酵素であることが明らかとなった(表2)。

表1 ペプチド基質に対する特異性表2 部分アミノ酸配列の比較

 本酵素は小腸粘膜に特異的に活性が検出されたので、ブタ小腸より mRNAを精製しcDNAライブラリーを作製、部分アミノ酸配列を基にしたオリゴヌクレオチドによるスクリーニングを行っている。またRT-PCRによるクローニングも行い、全一次構造の解明を目指している。

 典型的なプロセシングシグナルであるArg-Arg/Lys-ArgのC端側は、kexin familyプロテアーゼにより切断されると考えられているが、本酵素はこの配列を切断できない。本酵素はその発現特異性および切断配列特異性より、一般的な塩基性アミノ酸部位のプロセシングではなく、小腸特異的基質の切断に関与する可能性が考えられる。本酵素の特異性に合致する天然の基質として、脳腸管ペプチドであるコレシストキニン(CCK)が挙げられる。CCKは前駆体中のArg残基におけるプロセシングによりいくつかのフォームが生成するが、中でも小腸特異的フォームと考えられるCCK33のプロセシング部位は、本酵素の切断配列特異性に合致する一方で、既知のプロセシング酵素の特異性では説明できない。

 そこでまず、CCK33プロセシング部位に相当するペプチド(表3)を合成し反応させたところ、本酵素によって効率よく切断された。KM値は非常に低く、本酵素がCCK33切断部位に対する高い親和性を持つことが明らかとなった。

表3 CCK33プロセシング部位の切断

 高次構造による影響を含めさらに詳細な解析を行うためには、部分ペプチドだけでなく完全長前駆体を用いる必要がある。またCCKは同一前駆体が脳と小腸で異なるプロセシングを受けるとされている。これらを統一的に理解するために、CCK前駆体発現系の構築を試みた。

 ブタ小腸よりRT-PCRによりプレプロCCKをクローニングし、シグナルペプチドおよびC末端を除いた前駆体(rCCK84)を、T7プロモーターを用いた発現ベクターに組み込み、大腸菌における発現を試みた。生化学的解析が可能な量の前駆体を得るため、発現条件の改良を行っている。

 本研究によりブタ小腸粘膜より同定、完全精製された膜結合性プロテアーゼは、生化学的性質および部分アミノ酸配列より新規酵素であることが証明された。また本酵素が生理活性ペプチドCCKの小腸特異的プロセシングに関与する可能性が示唆された。今後はcDNAクローニングによる一次構造決定とともに、切断配列特異性決定残基の同定、また生体内における局在および生理機能について更に詳細な研究を進める予定である。

審査要旨

 蛋白質分解酵素プロテアーゼは生体機能の様々な面において、バイオモジュレーターとして重要な機能を担っていることが明らかになりつつある。人間を含めた高等動物においては遺伝学的解析が困難であることから、プロテアーゼ分子およびその機能を生化学的に解析することが有効である。また新規分子の同定は、未知の生理機能探索への第一歩として非常に大きな意義を持つ。本論文はこれらの重要性を踏まえブタ小腸粘膜より膜結合性新規プロテアーゼを単離し解析したもので、引用文献・謝辞を含め六章よりなる。

 序章である第一章に引き続き、第二章ではブタ小腸膜結合性新規プロテアーゼの精製と生化学的性質の解析、部分アミノ酸配列の決定について述べている。申請者は小腸粘膜ミクロソーム画分より新規のトリプシン様活性を初めて同定し、遠心分画、界面活性剤処理及び各種カラムクロマトグラフィーを用いてこの酵素の完全精製を行った。申請者は更に詳細な生化学的解析を行い、本酵素が合成基質および生理活性ペプチドのArg残基に特異的に作用し、特にArg-Arg/Arg-Lysといった塩基性アミノ酸対の間に特異性が高い、という特殊な性質を持つことを明らかにした。また阻害剤による効果および部分アミノ酸配列の決定により、本酵素がトリプシンファミリーに属する新規セリンプロテアーゼであることを明らかにした。また第二章後半においては、RT-PCRおよびcDNAライブラリーの構築・スクリーニングによる、本酵素のcDNAクローニングの試行について述べている。

 上記の結果を第三章では、本酵素の生理的基質についての考察を行い、本酵素が切断配列特異性及び発現特異性から、生理活性ペプチドであるコレシストキニン(CCK)の小腸特異的なプロセシングに関与することを推測した。そこでCCKの小腸特異的フォームであるCCK33のプロセシング部位に相当する合成ペプチドを用いて生化学的解析を行い、部分ペプチドが効率よく切断されること、また親和性を示すKM値が非常に低いことを明らかにした。この部位は既知のプロセシングプロテアーゼによっては切断を受けず、いかなる酵素が関与しているかは長年の疑問となっていたが、本研究で同定された新規酵素がこの機能を担っている可能性が示、された。さらに第三章後半では、更なる確証を得るため、CCK前駆体を大腸菌により大量発現させる試みが述べられている。申請者はRT-PCRによりブタ小腸よりCCK前駆体cDNAをクローニングし、発現ベクターを数種構築して、単独あるいは融合蛋白として前駆体の大量発現を試みている。

 また第四章においては、本酵素についての様々な予備的知見とともに、種を違えたラット小腸を用いた研究結果として、二種類のプロテアーゼの精製について述べ、総合的考察として討論した。

 このように本論文は、生化学を主に様々な手法を用いて、小腸粘膜より塩基性アミノ酸対に高い特異性を持つ新規プロテアーゼを同定・完全精製し、その分子的性質および機能について総合的な研究を進めたもので、学術上高く評価されるべきものである。よって審査委員一同は本論文が博士論文として価値あるものと認めた。

 なお本論文第二章前半は高橋孝行博士、櫻井康子氏、岩松明彦氏、高橋健治博士との共同研究であり、連名で印刷公表済みであるが、申請者が主体となって分析・検証を行ったもので、申請者の寄与が充分であると判断する。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54504