学位論文要旨



No 111663
著者(漢字) 守,真太郎
著者(英字) Mori,Shintaro
著者(カナ) モリ,シンタロウ
標題(和) 高分子膜とその相転移
標題(洋) Polymerized Membranes and Their Phase Transitions
報告番号 111663
報告番号 甲11663
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3027号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高山,一
 東京大学 助教授 桑島,邦博
 東京大学 教授 氷上,忍
 東京大学 教授 江口,徹
 東京大学 助教授 甲元,眞人
内容要旨

 高分子膜がネルソン教授等の仕事により物理学の対象になったのは1986年のことであるから、もう10年近く研究されてきたことになる。特に、平坦相という秩序状態やクランプリング転移といった性質は、1次元の物質である高分子には見られなかったものであり、高分子膜に特有な様々な相転移をもたらすものとなっている。

 本博士論文では、そうした相転移のなかでも近年盛んに研究されてきた高分子膜の2つの相転移、

 1)ランダム高分子化膜のしわくちゃ転移

 2)高分子膜の引力による平坦-コンパクト相転移

 に関しての研究を行った。

 特に、しわくちゃ転移に関しては、ランダムストレスにより自己排除相互作用を持つ高分子膜が大変形をする事を理論的、数値的に示した。また、高分子膜の平坦-コンパクト相転移に関しては、膜の柔軟性の違いが相転移の振る舞いを変える事についての理論的考察を行い、相転移を記述するモデルを提出し解析した。

 まず、本論文の第2章、第3章は自己排除ランダム高分子膜の研究に関するものである。高分子膜の研究において様々なランダムさの影響の研究は早くからなされていたが、液体膜に紫外線を照射することによって合成されたランダム高分子膜ないし部分高分子化膜は、温度を変えてやることにより高温相では熱的に激しく揺らいだ滑らかな相にあるが、低温相では硬くてしわくちゃな相にあることが実験で発見されスピングラス転移の可能性(膜の法線方向がランダムに固まるという事、および系がフラストレーションを持っている事から)が示唆されたことが研究の大きな契機となった。これに対し従来の理論は最初からスピングラスのモデルに対応づけてしまうものや、平坦相がランダムストレス等に対して安定であるかを調べ、ランダムストレスが十分に強いか、長距離相関をもつ場合には平坦相は不安定になり、スピングラス相に入るのではないかと考えられていた。我々は、高分子膜の様々な相を議論する場合には自己排除体積相互作用は非常に重要であると考え、まず長距離斥力()で相互作用するランダム高分子膜を膜の埋めこまれた次元が無限大の極限で解いてやり、スピンダラス相、クランプル相、平坦相の慣性半径の指数やラフネス指数を求めた。さらに(,D)平面内で、各相の存在領域をもとめ、とくにスピングラス相とクランブル相の共存領域、平坦相とスピングラス相の共存領域を見出し、膜が相転移するときの慣性半径等の指数の変化を求めた。また、膜の埋めこまれた空間の次元dが無限大の極限では、クランプル相に対してランダムストレスは効かなくなることも指摘した。しかし、有限次元ではこの事は成り立たないことが予想される。そこで通常の自己排除体積相互作用に対応すると考えられるデルタ関数の斥力で相互作用するモデル(一般化されたエドワーズモデル)へのランダムストレスとランダム自発曲率の影響を調べるため、次のハミルトニアンを導入した。

 

 ここで、Xi()(i=1,…d)はd次元空間に埋めこまれた膜の配位を表わし、は膜を構成するモノマーのD次元内部座標であり、c()およびHi()はそれぞれランダムストレス、ランダム自発曲率を考慮すべく導入されたランダムな場である。このモデルをランダム系に対するガウス近似(レプリカ場の理論)で扱い、クランブル相、スピングラス相の(D,d)面内の存在領域及び各相の慣性半径の指数を求めた。特に(2、3)ポイントはクランブル相内(指数は6/7)にはあるがスピンダラス相の中にはないことを指摘した(ランダムネスが短距離相関の場合でも)。この結果は自己排除体積相互作用を持ったランダム高分子膜の平坦相は不安定化し膜がクランプル相に入りうろこと、そのメカニズムは自己排除体積相互作用による曲げ弾性がランダムストレスにより、ある意味で"遮蔽"されることを意味している。ただ我々の理論はあくまでも十分軟らかい膜のクランブル相に関するものであり、膜が堅い場合には、膜は平坦相にあってもよく、従来の理論の結果と矛盾するものではないが、この不安定性メカニズムは新しい。

 この理論の結果を実証すべく、第3章で我々はモンテカルロ法により自己排除ランダム高分子膜の数値計算を行なった。モデルとしては、モノマーを平面にランダムに分布させ同じ長さのボンドで高分子化したモデル(ランダム高分子化モデル)とレギコラーな格子上でモノマー間の距離をあるルールに従ってランダムにしたモデル(ランダムボンド長モデル)を調べた。結果は、どちらのモデルにおいても膜が柔らかい場合は、膜がバックリング転移を起こして非常に縮んだ状態にあることがわかった。そして、前者のランダム高分子化モデルおよび、後者のモデルではランダムさが強い時、膜は激しく揺らぐクランブル相にあり、慣性半径の指数も0.84〜0.90ぐらいで理論の値と近いことも分かった。また、後者のモデルでランダムさが弱い時は、膜は平坦相にあるが、膜の垂直方向の揺らぎが膜の縮みにより押さえられた通常の平坦相とは異なった相(ラフネス指数が異なる)にあることも指摘した。以上の結果により、我々の予想したクランブル相の存在が確認され、また、平坦相からクランブル相への相転移の存在が示された(図参照)。

ランダムストレスの強さを変化させた時の膜の3次元配位(モノマー数271)。が小さい時は膜は滑らかな平坦相にあるが、を大きくしていくと大変形が起こり、〜0.95では等方的な相にあるように見える。

 この、数値計算の持つ意味はそれだけではなく、ランダム高分子膜のしわくちゃ転移を計算機実験で再現し理解する可能性を示唆したことにもある。ランダム高分子膜のしわくちゃ転移の機構としては、1つは、液体膜を高分子化したあとに残った脂質分子が、温度を下げる事により結晶化し、ランダムストレスを引き起こして相転移を引き起こすことによるというもであり、もう一つは、膜は高分子化した際にランダムストレスを持ち、フラストレーションがあるが、温度を下げる事により、有効曲げ弾性が小さくなり、有効弾性定数が大きくなって平坦相が不安定化したものだというものである。現時点ではどちらが正しいのかはっきりしたことは言えないが、我々の結果は少なくとも前者の過程は可能である事を示唆している。この点を明らかにするために、膜に曲げ弾性を与えたモデルで、温度変化、ランダムさの変化を更に調べることが今後の課題である。

 第4章では引力による高分子膜の相転移を議論した。貧溶媒中の高分子膜は十分低温でコンパクト相にあることは実験及び数値計算で確認され、また平坦相からコンパクト相へ転移する過程で、次々に折り畳まれることも見出されている(逐次折り畳み転移)。これに対し、カダー教授らは2枚の膜のunbinding転移と同じメカニズムであると説明していたが、最近グレスト博士らの数値計算は、膜が十分に柔軟な時には平坦相から出発しコンパクト相への転移が連続的で、相転移点直上ではクランプル相にある可能性を見出した。我々は、引力()で相互作用する高分子膜のモデルを膜の埋めこまれた空間の次元dが無限大の極限で解いてやり、膜の次元や引力の指数によって様々な相転移をすることを見出した。特に短距離力の場合には連続的なクランプリング転移が起きることを示し、グレスト博士らの結果は、引力によって引き起こされた負の曲げ弾性と膜の持つ曲げ弾性(自己排除体積によるものも含め)が相殺することによるクランプリング転移であるという解釈を提出した。そして、こうした相殺は膜が非常に柔軟な場合にのみ起こり、そうでない時には相殺が完全に起こる前に膜の平坦相が不安定化し、逐次折り畳み転移が起こるのだと考えられる。

 次に、逐次折り畳み転移を議論するには膜の折り畳みの自由度の振る舞いに焦点をあてる必要があると考え、ダヴィッド教授、ギテー教授等により研究されていた折り畳みの自由度のみを持つ格子モデルに、曲げ弾性、相互作用(引力や斥力)加えたモデルを導入した。曲げ弾性、相互作用の2つのパラメーター空間内に、どのような相が存在するのか、またそれらの相の間の相転移を平均場理論を用いて解析し、1部の結果については数値的にも検証した。そして、このモデルが逐次折り畳み転位を記述している事を明らかにした。

審査要旨

 良溶媒中の高分子鎖は、エントロピー効果とモノマー間の自己排除体積効果のバランスで決まるある大きさを持った糸鞠(コイル)状で存在する。一方、貧溶媒中においてはモノマー間の引力が優勢となり、糸鞠がさらにつぶれた小球(グロビュール)状になる。それでは、高分子が2次元的に結合した高分子膜はどのような形態で存在し、とのように形態間を転移するのであろうが? 理学修士守真太郎提出の本論文は、このような高分子膜に関する基本的な問題を場の理論的な手法と数値シミュレーションによって追究したもので、英文で4章からなる。

 序説の第1章に続く第2章では、d次元空間に埋め込まれたD次元の高分子膜について、場の理論の手法を用いた解析を行っている。具体的には、高分子膜の(曲げ)弾性エネルギー、自己排除体積相互作用、および、膜の欠陥に起因するランダムポテンシャルから構成される系の自由エネルギーを評価し、想定される種々の形態(’相’)、すなわち、高分子鎖のコイル相および直線的状態に対応するクランプル相および平坦相、さらに、膜の法線方向がランダムに凍結したスピングラス相の存在条件(各相を記述する秩序変数に関する自由エネルギーの鞍点方程式に現れる積分の収束条件)を調べる。

 まず、自己排除体積相互作用が型斥力の場合について(rはモノマー間距離)、d→∞の極限で相の存在条件を解き、D-面内における各相の存在領域を調べた結果、スピングラス相やクランプル相が存在し得る領域が見出された。次に、自己排除体積相互作用がデルタ関数型の場合について、レプリカ法を援用して系の自由エネルギーをガウス近似の範囲で評価し、クランプル相とスピングラス相のD-d面内での存在領域および慣性半径の指数を求めた。導入した近似の意義や適用領域に関する吟味が十分とは言えないが、示唆に富んだ結果が導かれている。特に、D=2,d=3がクランプル相の存在領域(慣性半径の指数は6/7)にあり、現実のランダム高分子膜の平坦相が不安定化し、クランプル相に入り得ることを示す新しい結果は興味深い。

 この理論結果を検証するために、第3章では、自己排除ランダム高分子膜に対してモンテカルロ法による数値シミュレーションを行っている。剛体球で表わしたモノマーをボンドで繋げて高分子膜を作る。弾性エネルギーの最小を与えるボンド長が不均一なモデルと、個々のモノマーに繋がるボンド数が不均一なモデルとを導入してランダム効果を調べた。その結果、どちらのモデルにおいても自己排除体積効果が小さくかつ不均一性が大きい場合、膜はバックリングを起こして非常に縮んだ、等方的な状態、すなわち、クランプル相にあり、そのときの慣性半径の指数0.87〜0.90も第2章の理論の値とよい一致を示すことが確かめられた。

 第4章では引力による高分子膜の相転移の議論を展開している。高分子膜については、貧溶媒中高分子鎖のグロビュール相に対応したコンパクト相の他に、平坦な膜が次々に折り畳まれているような相の存在が実験や数値計算で確認されている。論文提出者は第2章と同様な場の理論的手法を用いて、型引力をもつ(自己排除体積効果のない)高分子膜を調べ、d→∞の極限で、D-面内において各相が存在し得る領域等を求めた。その結果、特に、短距離力の場合には平坦相から転移点直上でのクランプル状態を経てコンパクト相へ移行する相変化が起こり得ることを示し、その際のクランプル状態は引力によって引き起こされた負の曲げ弾性と膜の持つ曲げ弾性との相殺の結果であるとする新しい解釈を提起している。さらに、本章では逐次折り畳み転移への曲げ弾性効果、相互作用効果についても新たなモデルを提起し、その平均場理論や数値シミュレーションの解析から、導入したモデルが実際に逐次折り畳み転移をよく記述していることを示した。

 以上述べてきたように、学位提出者による本研究は、場の理論的な取り扱いにおいてより深い考察に欠けるきらいがあるものの、得られた多くの新たな知見は今後この分野の研究の進展に大いに貢献するものと認められ、審査員全員により、博士(理学)の学位論文として合格と判断された。

 なお、本論文第2章と第4章は、指導教官和達三樹教授及び梶永恭正氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54498