学位論文要旨



No 111658
著者(漢字) 名倉,賢
著者(英字)
著者(カナ) ナグラ,マサル
標題(和) ミラー対称性の一般化
標題(洋) Generalization of Mirror Symmetry
報告番号 111658
報告番号 甲11658
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3022号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 米谷,民明
 東京大学 教授 柳田,勉
 東京大学 教授 折戸,周治
 東京大学 講師 和田,純夫
 東京大学 助教授 筒井,泉
内容要旨

 ミラー対称性は1991年にP.Candelasらにより発表された記念碑的論文P.Candelas,et.al.,Nucl.Phys.B359(1991)21.で確立した。ミラー対称性の概念は、(上の論文の題名からわかるように)N=2 super non-linear sigma modelの厳密な計算を可能にして多くの物理学者に驚かせ、また、同時に「代数曲線の数え上げ」の問題をも解き数学者にも衝撃を与えた。「代数曲線の数え上げ」は代数幾何学の難問の1つだったのである。

 ミラー対称性とは、一口で言えば、A modelとB modelのDualityのことである。

 カラビ-ヤウ多様体をtarget spaceとするN=2 non-linear -modelがすべての出発点である。これを「twist」して位相的理論をつくる。このとき場の(左,右)を(chiral,chiral)と組むか(chiral,anti-chiral)と組むかによって二通りの位相的理論が得られる。これがA model,B modelである。従って、A modelとB modelは物理的に明らかに等価である。

 (chiral,chiral)場を(chiral,anti-chiral)場に組み替える作業は、target spaceを適当な群で割ることに対応する(orbitalization)。カラビ-ヤウ多様体Mを適当な群で割って、特異点を解消することによって、そのMに対するミラー多様体Wが得られる。

 したがって、あるカラビ-ヤウ多様体M上でのA modelは、そのMに対するミラー多様体W(Wも再びカラビ-ヤウ多様体の一種であるが)の上のB modelは、等価である。これがミラー対称性と呼んでいるものである。

 この二つの理論は「くり込み」の性質が大きく異なる。つまり、A modelはインスタントン補正を受けるのに対して、B modelはそれを受けない。カラビ-ヤウ多様体M上のA modelの場合、任意の次数のインスタントン補正を受けるので、厳密な計算を有限回で実行することはできない。一方、B modelは補正を受けないのでtree level(+ 1-loopの波動関数のくり込み)で厳密な計算を実行できる。

 その一方で、A modelは幾何学的解釈が容易である。A modelのインスタントン補正は、幾何学的にいえば、target space上の代数曲線の数え上げに相当する。このような幾何学的解釈はB modelではできない。

 そこでミラー対称性を用いて、厳密な計算ができなかったA modelをB modelに焼き直してやる。B modelで厳密な計算を実行して、A modelにもどせば、A modelの厳密な計算が得られるはずである。これがミラー対称性の戦略である。

 P.Candelas,et.al.はこの考えを、CP4

 

 で定義されるカラビ-ヤウ多様体を具体的に実行した。

 このカラビ-ヤウ多様体は複素3次元である。これには理由がある。一つは「コンパクト化」の問題で、もう一つは「Special Geometry」の問題である。いずれにせよ、当時、複素3次元以外のカラビ-ヤウ多様体は避けられていた。複素3次元以外ではミラー対称性の概念は大幅な変更を受けるのではないかという考えも強かった。

 この論文の中心の主張は、「ミラー対称性の概念は一般次元で有効である」ということである。

 私は、杉山、秦泉寺らと共同でまたは単独で上の考えを明らかにしてきた。

 1.M.Nagura and K.Sugiyama,"Mirror Symmetry of K3 Surface",UT-663,Int.J.of Mod.Phys.A,Vol.10,No.2(1995),

 2.M.Jinzenji and M.Nagura,"Mirror Symmetry and An Exact Calculation of N-2 Point Correlation Function on Calabi-Yau Manifold embedded in CPN-1",UT-680,hep-th 9409029,Int.J.of Mod.Phys.,

 3.M.Nagura,"Mirror Symmetry on Arbitrary Dimensional Calabi-Yau Manifold with a few moduli",UT-,hep-th 9410177,Mod.Phys.Lett.A,vol.10,No.23,(1995).

 この論文は5つの章よりなっている。

 1.Introduction.

 2.Mirror symmetry of Calabi-Yau hyperspaces in CPN-1.

 3.Mirror symmetry of Calabi-Yau hypersurfaces in Toric varieties.

 4.Tree-point Functions and Quantum Cohomology.

 5.Conclusion.

 第一章(Introduction)では、ミラー対称性の概念を説明し、さらにこの論文の目的について説明した。

 第二章(Mirror symmetry of Calabi-Yau hyperspaces in CPN-1)では、CPN-1

 

 で定義されるカラビ-ヤウ多様体(複素N-2次元)を取り扱い、任意の次元でミラー対称性の概念は有効であることを示した。

 まず、章の最初でA modelとB modelについて概説した。

 ついで、B modelの計算を、P.Candelas,et.al.とは異なる見通しのよい方法を開発して実行した。(論文2と3参照)P.Candelas,et.al.はカラビ-ヤウ多様体上の正則(n,0)形式をモノドロミーを援用して計算していたが、それをピカールーフックス方程式から直接計算した、さらにゲージ固定(複素直線束の切断の取り方)を決定して、(N-2)点相関関数をもとめた。また、この計算技術としての「周期積分」の技法を詳説した。

 そして、ミラー写像と呼ばれる特殊な関数を用いて、B modelの計算を、A modelのそれに移しかえた。

 A modelの結果は代数曲線の数え上げに相当するはずである。次に、そのようにして求めた結果と代数幾何学の計算とが一致することをみた。この計算はグラスマン多様体上のホモロジーの計算法、Schubert Calculus、を用いることによってできた。あわせて、この計算法も詳説した。

 以上の結果より「ミラー対称性の概念は一般次元で有効である」と確信できる。

 第三章(Mirror symmetry of Calabi-Yau hypersurfaces in Toric varieties)では、おもに重み付きの射影空間CPN-1(2,2,…,2,1,1)上

 

 で定義されるカラビ-ヤウ多様体(複素N-2次元)を考えた。これは変形のパラメーターが2つある複素N-2次元カラビ-ヤウ多様体の代表例である。

 このようなさらに一般的なカラビ-ヤウ多様体とそれが埋め込まれている空間(トーリック多様体)を扱うのがトーリック幾何学である。

 ドイツのBatyrev教授はトーリック幾何学によってミラー多様体を構成する方法を提唱した。私はこの理論を応用し、変形のパラメーターが複数以上、任意次元のカラビ-ヤウ多様体のミラー対称性を議論した。

 また、あわせてトーリック幾何学の概説をおこなった。

 第四章(Tree-point Functions and Quantum Cohomology)では、量子コホモロジーの観点からミラー対称性を議論した。

 実は、B modelの量子コホモロジーは、演算子積とガウスーマニン接続を同一視することによってピカールーフックス方程式から決定できる。これはA modelにはない性質である。

 この議論は変形のパラメーターが複数以上の場合にも応用でき、そのときは、古典的限界で量子コホモロジーが普通の可換なコホモロジーに移行することが重要である。

 最後、第五章(Conclusion)では、論文の結果と今後の展望について触れた。

審査要旨

 場の量子論は粒子の運動と相互作用を記述する基本的な枠組みとして現在の素粒子の標準模型の基礎であるだけでなく、素粒子に限らず物理学の多くの分野で広く応用されていることは論をまたない。しかし、重力を取り扱うときの無限大や物理的解釈などの問題に典型的に現れているように、場の量子論にはいまだ理解を深めるべき多くの課題が残っていることも事実である。

 このなかで、近年、場の量子論のまったく新しい理論的応用として、「位相的場の理論」と呼ばれるテーマが、理論物理学者や数学者の興味を引いている。位相的場の理論においては、通常の場の理論とは異なり、物理的状態として時空を伝播する粒子状態が存在しない。そのため、位相的場の理論における物理的観測量としては、粒子散乱のS行列を考えることはできず、理論が定義されている時空や場の配位空間の大域的構造を反映する位相的不変量がその役割を果たす。このため系の物理的自由度は多くの場合有限個になり、位相的不変量の相関関数を厳密に計算できる可能性がある。位相的場の理論の提唱者であるE.Wittenはこのようにして、位相幾何学的に興味がある位相不変量の場の理論的な導出を実際に行ってみせた。この方法は位相幾何学の分野に新しい地平を切り開き、数学者の間でも多大の関心を集めている。

 特に、超弦理論の時空コンパクト化の問題で重要な役割を果たす、6次元(複素3次元)のCalabi-Yau空間を標的空間Mとする2次元超対称非線型シグマ模型は、場の変換性の再定義により位相的場の理論と見なすことができる。この場合、変換性の再定義には二つの方法があり、それに応じて通称A模型、B模型と呼ばれる二つの位相的場の理論が存在する。これらの模型の物理的観測量の空間はM上のコホモロジー環の要素であるが、それらの相関関数はA模型、B模型の場合でそれぞれ、MのKahler構造か複素構造のいずれかに依存することになり、異なったものであるにもかかわらず、相関関数は一定の変換により互いに対応させることができることが知られている。これをミラー(Mirror、鏡映)対称性と呼んでいる。A模型では相関関数の計算にはCalabi-Yau空間における有理曲線に対応しているインスタントンの効果を無限次数までとり入れる計算が必要になるが、ミラー対称性が成立すれば、B模型に基づきまったく異なった方法を用いてインスタントンの効果を正確に計算できる。Candelas等はこのことを用いてCalabi-Yau空間の有理曲線の個数を初めて任意の次数まで計算することに成功した。Calabi-Yau空間における位相不変量の3点相関関数はCalabi-Yau空間にコンパクト化された超弦理論の湯川結合定数と密接な関係があり、これは物理的にも重要な意味のある結果である。

 本論文の主要目的はこのミラー対称性を、より一般の次元に拡張することにある。本論文提出者達の研究以前には、Candelas達の方法によりミラー対称性を複素3次元以外に拡張することは困難であると考えられていたが、提出者は一般の次元でも実行可能な方法を考案しCPN-1空間の代数曲面として埋め込まれた複素N-2次元Calabi-Yau空間についてもミラー対称性が成立することを示した。

 第1章でミラー対称性の概念を説明した後、本論文の中心部分である第2章に入る。まず一般の次元におけるB模型での位相不変量相関関数の定義とその導出が論じられる。B模型の経路積分は底空間(リーマン面)から標的空間(M)への定数写像に関する積分に帰着し、複素3次元の場合の湯川結合の自然な拡張とみなすことができるN-2点関数は、M上のホロモロフィックN-2形式を用いた積分として表現できることが小平-Spencer方程式を用いて示されている。つぎに、CPN-1上でパラメタを1個含む斉次N次多項式によって定義されたCalabi-Yau多様体の場合のの具体的な表式を、M上の周期積分に対するPicard-Fuchs方程式を用いて求めている。続いて、Morrisonの方法に基づいて、代数曲面を定義する埋め込み写像の変形パラメタとA模型のシグマ模型結合定数との間のミラー写像を構成し、A模型の相関関数への変換を得た後、その表式からインスタントン次数に関する展開係数を求めた。この結果が、A模型におけるからMへの有理写像の個数と一致することを確かめることが次の仕事になる。これは基本的には有限個の代数方程式系に対する解の個数を決定する問題であるが、厳密な計算には代数方程式による写像の定義にまつわる縮退による重複度などの影響を取り入れた注意深い考察が必要である。論文提出者はインスタントン次数が1の場合について正確な計算を行い、本章前半で得られたB模型の結果と一致することを確かめた。

 第3章では、2章の議論を重みつき射影空間に埋め込まれたCalabi-Yau空間へ拡張する試みが論じられている。その一つの具体的応用として変形パラメタを2個含む複素N-2次元Calabi-Yau多様体の場合について、N-2点関数を決定しミラー写像によりA模型への変換を得ている。A模型のインスタントン計算との比較は今後の課題として残されている。

 第4章では一般の次元の場合について、3点相関関数が論じらている。3点関数は古典的なコホモロジー環を変形した量子的環構造を定義することになり、3点関数の変形パラメタに関する性質を調べることは興味深い問題である。第3章で論じられた複素N-2次元Calabi-Yau多様体の場合について、B模型から出発して量子環構造の性質の解析がなされている。

 以上のように、本論文ではミラー対称性の一般次元での構成という困難な問題に取り組み、さまざまな数学的手法を応用することにより具体的な結果を得ることに成功している。また、それによりミラー対称性が高次元でも有効であることが確立された。これらの成果は、2次元非線型シグマ模型の位相的場の量子論の一般的性質、特にそのミラー対称性に関する性質についての我々の理解を深化させるのに有用な新知見である。よって審査委員会は全員一致で本論文が博士(理学)の学位を授与するのにふさわしいものであると判定した。

 なお本論文の第2章は秦泉寺雅夫氏との共同研究に基づいているが、論文提出者が主体となって分析および計算を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断した。

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