学位論文要旨



No 111595
著者(漢字) 石原,孝二
著者(英字)
著者(カナ) イシハラ,コウジ
標題(和) 自己の現象学 : 近代の「自己意識」論とハイデガー
標題(洋)
報告番号 111595
報告番号 甲11595
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第139号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高山,守
 東京大学 教授 坂部,恵
 東京大学 教授 松永,澄夫
 東京大学 教授 天野,正幸
 東京大学 助教授 一ノ瀬,正樹
内容要旨

 本論文の課題はハイデガーの「自己」論を、近代の「自己意識」論と対比させつつ、再構築することである。『存在と時間』を中心としたハイデガーの「自己」論の特徴を簡潔に挙げるとすれば、次の二点に纏めることができるだろう。

 1、「自己」は常に了解されている

 2、「自己」は隠される傾向にある

 この相容れない規定を、ハイデガーは「現存在」の「本来性」と「非本来性」という対比を提示することによって、両立可能なものにする。つまり、われわれは、「日常的」には、「非本来的」な仕方で「自己」を了解し、解釈しているのであり、「本来的な自己」は隠蔽されているのである。日常的には「本来的な自己」は隠されているという機制は、「世界」の概念によって、また、それにも関わらず「自己」は常に了解されているという機制は、「時間性」の概念によって、それぞれ示され得るであろう。それ故に、本論文では、近代の「自己意識」論が提示する<隠蔽>の機制と対比させながら、「世界」と「時間性」の概念を手がかりに、ハイデガーの「自己了解」と「自己隠蔽」の理論を再構築することが試みられている。本論文の具体的な論述は以下のように分節される。

 第一章「自己の現象学」と「生の傾向」の<徹底化>では、本論文のタイトル、「自己の現象学」という言葉の由来とその方向性がハイデガーの初期フライブルク講義を手がかりに明らかにされる。第二章 近代的<自己論>の輪郭では、近代の「自己」論を、「覚知」の理論として特徴づけることが試みられている。デカルト、ロック、コンディヤックを範型として、「覚知」と「反省」の理論の輪郭が提示され、そうした「覚知」の理論が、ライブニッツーヘルバルトの<無意識的表象>を介してフロイトの「精神分析」へと受け継がれていることが示される。フロイトの「精神分析」は、近代的な「自己意識」論が提示する「隠蔽」の機制についての説明を最も体系的に表現しているものとして捉えることができるのであり、それ故に、それはハイデガーの提示する「隠蔽」の機制に対置されるべきものとして際だたせられなければならない。第三章「隠蔽」の起源の、<「隠蔽」の起源>という表題は、二重の課題を指し示している。つまり、ハイデガーの「隠蔽」概念における、「隠蔽」の<理由>を明らかにするという課題と同時に、この「隠蔽」概念そのものの<前史>を明らかにするという課題をも指し示している。ここでは、ハイデガーの「隠蔽」の概念がブレンターノ、フッサールの志向性理論とディルタイの「生」の理念という二つの文脈を独自のスタイルに彫琢することによって成立したものであること、また、ハイデガーにおいては、「隠蔽」の機制が「世界」の機制と連動していることが示される。第四章「世界」の概念(1)/「世界」の可塑性と「死」の解消され得ない異質性では、ハイデガーの「良心」論にも依りながら、ハイデガーの「自己」論における「自己」と「世界」との両義的な関係を明らかにし、また、「世界」をその<可塑性>において捉えることに、「本来的な自己」への「変様」の可能性を見いだす努力がなされている。第五章「世界」の概念(2)/「他者」と「共世界」は、第四章の論述を承け、「私の世界」が「他者」との共同構築物であらざるを得ないことを現象学的に明らかにすることを目的としている。ここでは、「環境世界」が「道具連関」として性格づけられることによって、「世界」の著作権が近代哲学的な「純粋自我」から、匿名的に機能する「ひと」へと譲り渡されることが示され、そのようにして明らかにされた「共世界」の機制を踏まえて現存在の「非本来的」な「自己解釈」という現象を読み解くという作業がなされている。第六章「自己触発」と「時間性」の概念では、ハイデガーの「自己触発」と「時間性」の概念を、カントとフッサールの<自己触発>論と対比させつつ論じることが試みられている。「時間性」を「自己触発」ないしは、<自己関与>の構造として示すことによって、「自己」が常に了解されているというハイデガーの「自己」論の主張が、根拠づけられると同時に、定式化されるはずである。他に、付論I ディルタイとハイデガーの了解概念について及び付論II 後期ハイデガーの<思惟のスタイル>についてを付す。

審査要旨

 本論文の課題は、ハイデガーの「自己」論を、近代の「自己意識」論と対比させつつ、再構築することである。その要点は、ハイデガーの「自己了解」と「自己隠蔽」の理論を、その「世界」と「時間性」の概念を手がかりとして、捉え返すということにある。本文は六章からなる。

 第一章では、本論文のタイトルである「自己の現象学」という言葉の由来とその方向性が、ハイデガーの初期フライブルク講義を手がかりに明らかにされる。続く、第二章、第三章で、デカルト以来の「覚知」の理論を継承するフロイトの「精神分析」論によって、「自己」の「隠蔽」という近代意識論の主題が、体系的に呈示されたこと、および、ブレンターノ、フッサールの志向性理論と、ディルタイの「生」の理論が、ハイデガーの「自己隠蔽」論の先駆であることが、示される。これを踏まえて、第四章では、ハイデガーの「自己隠蔽」論を、「自己」と「世界」との関係論を通して捉え返し、第五章で、それをさらにハイデガーの「非本来来的」な「自己解釈」論の解釈を通して展開する。最後に第六章で、「時間性」の概念に即して、ハイデガーの「自己了解」論を展開する。

 ハイデガーの哲学を論じるというと、しばしば、ハイデガーの用語でその論議を反復するのみに終わりがちだが、本論文は、ハイデガー哲学の中心思想を、近代思想史の展開を追うなかで的確に捉え、しかも、こなれた用語で説得的に解明している。その点で、近代の自己意識論およびハイデガーの「自己」論に、新たな一石を投じえよう。審査の過程では、あまりにも周辺の思想に配慮しすぎて、肝心のハイデガーの思想の議論がやや散漫になっているなどの批判もなされたが、総じてその独創性は認められた。

 以上により、審査委員会では、本論文が博士(文学)を授与するに値するものとの結論を得た。

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