学位論文要旨



No 111395
著者(漢字) 王,瀝
著者(英字) WANG,LI
著者(カナ) ワン,リー
標題(和) 遺伝子解析による輸血後移植片対宿主病の病態及び診断法についての研究
標題(洋) Molecular Studies on Pathogenesis andDiagnosis of Post-transfusion Graft-versus-Host Disease
報告番号 111395
報告番号 甲11395
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1049号
研究科 医学系研究科
専攻 保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中込,彌男
 東京大学 教授 柴田,洋一
 東京大学 助教授 浅野,喜博
 東京大学 講師 北村,聖
 東京大学 講師 東原,正明
内容要旨

 免疫系は通常病原体などの外来物は攻撃するが、自分自身の細胞や組織を攻撃することはない。いいかえれば、免疫系を構成している細胞は自己(自分)と非自己(他人)の識別を行っているのである。臓器移植において移植片(移植される細胞また臓器)および宿主(移植を受ける患者)の免疫系細胞はそれぞれ識別能力を持つ。従って、臓器移植の結果として3つの場合が想定される。(1)組織適合性がうまく一致しているために移植片と宿主間に何の反応も無い場合、(2)宿主が移植片を非自己と認識して拒絶する場合、(3)拒絶されないで宿主体内に住み着いた移植片が宿主を非自己と認識して攻撃障害する場合、である(図1)。

図1 移植における拒絶反応とGVHD反応

 (3)がGVHR(graft-versus-host reaction;移植片対宿主反応)である。その発症には、(1)移植片に免疫担当細胞(T細胞)が存在すること、(2)宿主側に移植片中の免疫担当細胞が認識し得る組織適合抗原の相違が存在すること、(3)宿主の免疫能が抑制されており、移植片を拒絶できないこと、の3条件が必要とされてきた。

 輸血される血液細胞の中には、細胞核がなくて増殖能力のない赤血球および血小板、核を持っていても既に増殖能力を失っている顆粒球があるが、リンパ球および単球は増殖能力を保っている。

 通常の輸血では増殖能力を持つリンパ球や、単球は組織適合性が合わないために受血者の免疫系によって拒絶排除され、他の血液成分は拒絶されないで余命を全うすることが期待されている。しかし稀にはリンパ球、単球が受血者すなわち宿主(host)によって拒絶されないで受血者体内に生着増殖する場合がある。そして逆に宿主を非自己(non-self)として認識し、受血者の骨髄、皮膚、肝臓などの体組織を攻撃破壊して死に到らしめる。これが輸血後移植片対宿主病post-transfusion GVHD(PT-GVHD)である。

 輪血後GVHDは輸血によって移入されたリンパ球によって起きるGVHDで、輸血1〜2週後に発熱、紅斑で始まり、肝障害、下痢、下血という症状に引き続き、骨髄無形成、汎血球減少症、敗血症、多臓器障害によって死亡率90%以上に達する。

 GVHDは、1950年代中頃マウスで初めて記載され、runtingsyndrome(こびと病)と呼ばれた。ヒトでは骨髄移植に伴うGVHDが1959年に初めて報告された。輸血に伴うGVHDの最初の報告は、1965年記載された免疫不全の幼児への輸血での発症例である。この疾患は従来極めて稀な合併症として、しかも免疫不全の症例にのみ発症すると考えられていたが、現在はごくふつうの免疫能を有する患者にも発症することが判明しており、その例数も日本国内で年間50例に達すると推定されている。

 いままで報告された輸血後GVHDの大部分の症例において、供血者はHLAのホモ接合体(a/a)で、受血患者が供血者のハプロタイプを共有するヘテロ接合体(a/b)である特異な組み合わせの場合に発症している。この組み合わせでは受血者は移植片を自己と認識して拒絶しないが、移植片は受血者を非自己と認識して攻撃しうる。日本人では、欧米諸国に比較して移民人口が少なく人種の混在率が低いために、このような組み合わせが起きる確率が比較的高い。従って、免疫不全が主たる原因ではない輸血後GVHD症例が日本人で多く報告されている。

 従来、輸血後GVHDの診断は主として臨床症状をもとに行われていた。前に述べたように、輸血後発熱、紅斑、肝障害、下痢、汎血球減少症、骨髄無形成がおおよそこの順に出現したときは輸血後GVHDが強く疑われる。発症初期には、薬剤アレルギーとの鑑別が重要である。

1.輸血後GVHDの遺伝子確定診断法の開発

 遺伝的指標を用いた確定診断としては従来、HLAのレシピエント型からドナー型への変換や、女性患者においては組織および末梢血中に男性ドナー由来のY染色体の存在を証明することにより行われてきた。しかし、HLA型の変換は血中の白血球数が1000個/l以下にならないと観察されないといわれており、HLAヘテロの患者にHLAホモのドナーリンパ球が移注されて起きる典型的な輸血後GVHDの場合は前者の方法で確定診断を下すことが難しい。一方、Y染色体法も男性患者には適応できないという問題点がある。

 本研究では、迅速かつ早期の確定診断を目的として、最近個人認識にも用いられているマイクロサテライトDNA多型を指標とした輸血後GVHDの遺伝子確定診断法を開発した。さらに実際の患者数例でこの新しい検査法を実施しその実用性を検討した。

 マイクロサテライトは種々の染色体にある2、3個のヌクレオチドの繰り返し構造で、その繰り返し数に多型性がある。そこで白血球からDNAを抽出し、特異的なプライマーを用いたPCRで増幅後、マイクロサテライトの繰り返数の違いを電気泳動で検出する(図2)。

図2 マイクロサテライトDNA多型解析の原理

 まずD11S534、D6S89、INT、TCFIIDおよびHGHの5種類のマイクロサテライトDNAを指標として選び出した、患者本来のDNA型として輸血前末梢血から抽出したDNAと、発症後患者およびドナーの末梢血から得たDNAを試料としてPCR法で増幅し、ポリアクリルアミドゲル電気泳動で解析した。輸血前の血液が得られない場合には四肢の爪、皮膚等からDNAを抽出し、患者本来のDNA型として代わりに使用できる。今回使用した5種類のマイクロサテライトDNAにはそれぞれ7〜18種類の対立遺伝子型が存在するが、各個人については白血球、爪などの各組織のDNA型はすべて一致している。一方、濃厚血小板20単位の輸血を受けても輸血後GVHDを発症しなかった患者の翌日および3日後の末梢血からは、患者本来のDNA型のみが検出された。

 輸血後GVHDが疑われた実際の症例で調べたところ、発症後の末梢血DNA型が患者本来のDNA型と異なりドナーDNA型と一致していた。このことから末梢血中の有核細胞が患者本人のものではなく主としてドナー由来のものであることが確認された(図3)。

図3 輸血後GVHD検査陽性例A:TCFIID,B:D6S89,C:D11S534

 このような例では明らかに輸血後GVHDと判断され、他方末梢血DNA型が患者本来のDNA型と完全に一致する例では、輸血後GVHDの可能性は極めて低いと考えられる。増幅するDNA断片の大きさはいずれも250bp以下と比較的短いため、ホルマリン固定した皮膚片や臓器からも判定できた例があり、輸血後GVHDの判定に極めて有用と考えられた。一般に輸血前の患者血液を保存してあることは稀であるが、本法の場合、爪や皮膚から抽出したDNAからも確定診断できることも大きな利点である。

2.輸血後GVHDにおけるT細胞レセプター鎖可変部(TCR V)遺伝子の解析

 輸血後GVHDの発症は、移入されたT細胞が異なった型の宿主(受血者)の組織適合抗原を識別して活性化することによって増殖し、受血者の組織を攻撃することによって引き起こされる。

 T細胞は外来抗原由来のペプチドと主要組織適合抗原(MHC)複合体との結合物を認識するが、その特異性はT細胞レセプター(TCR)により決定される。このTCRは、鎖/鎖あるいは鎖/鎖のヘテロダイマーとCD3分子群とから構成される。その発現には遺伝子再構成を必要とし、同一染色体上でV、D、J遺伝子断片が集合してV領域ドメインを形成する。ヒトV遺伝子は、第7染色体q32-35に位置し約23個のファミリーに分類され、2個のD、13個のJ、そして2個のC遺伝子から構成されている。これらV、D、J遺伝子断片数だけから予想されるTCRの多様性は106個であるが、junctional(N)領域へのヌクレオチドの挿入も含めるとそのレパトアは10@10以上にも及ぶ。

 輸血後GVHDにおいて反応性T細胞のTCRレパトアを検討することは、その発生機序を解明する上で、また特異的治療の可能性を探求するためにも重要である。未知のTCRV領域遺伝子を決定する方法として、本研究ではinversePCR法による解析を行った。ヒト末梢血よりRNAを抽出し、oligo(dT)プライマーを用いて相補的なで一本鎖cDNAを合成し、さらに二本鎖DNAを作製した。これをT4DNAポリメラーゼによりblunt-endとし、次にT4DNA ligaseで環状二本鎖DNAとした。この環状DNAを鋳型として、C遺伝子領域に対する一組のプライマーを用いて間にはさまれるVDJ領域をPCR増幅した。増幅したcDNAは、TAベクターに導入してクローニング後、その塩基配列を決定した。

 健康者2名と輸血後GVHD患者4検体を検討したところ (図4)、健康者では、Vにおいて23種中ほぼ全てのsubfamilyが検出され、末梢血T細胞はpolyclonalであることが示唆された。これとは対照的に、輸血後GVHD患者においては、症例1ではV1、V3、V6、およびV20ファミリー、また症例4ではV2、V3、V6、V13ファミリーに限定された発現が認められた。また症例2においても7種類のVファミリー、症例4においても9種類のファミリーを中心とした発現が認められた。さらに詳しくみても、症例1ではV20ファミリーの比率が圧倒的に高く、症例4においてもV6とV3が大部分を占めていた。

図4 健康者とGVHD患者の末梢血におけるVレパトア解析

 以上の結果から特定のTCR鎖のV領域が高頻度に発現されていることがわかった。すなわち、輸血後GVHDの発症に関与するT細胞がoligoclonalで、少数のクローンに由来することが明らかとなった。輸血後GVHDにおいては、HLAの相違を認識して活性化された比較的少数のT細胞クローンが各種臓器の障害をもたらす反応性T細胞であると推定される。

審査要旨

 本研究は重篤な輸血副作用である輸血後移植片対宿主病(PT-GVHD)について診断法の開発と遺伝子解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.確定診断法の開発において、まず最近個人認識に用いられているマイクロサテライトDNA多型から5種類を指標として選び出した、患者本来のDNA型として輸血前末梢血から抽出したDNAと、発症後患者およびドナーの末梢血から得たDNAを試料としてPCR法で増幅し、ポリアクリルアミドゲル電気泳動で解析した。輸血後GVHDが疑われた実際の6症例で調べたところ、発症後の末梢血DNA型が患者本来のDNA型と異なりドナーDNA型と一致していた。このことから末梢血中の有核細胞が患者本人のものではなく主としてドナー由来のものであることが確認された。このような例では明らかに輸血後GVHDと判断され、他方末梢血DNA型が患者本来のDNA型と完全に一致する例では、輸血後GVHDの可能性は極めて低いと考えられる。

 2.増幅するDNA断片の大きさはいずれも250bp以下と比較的短いため、ホルマリン固定した皮膚片や臓器からも判定できた例があり、輸血後GVHDの判定に極めて有用と考えられた。一般に輸血前の患者血液を保存してあることは稀であるが、本法の場合、爪や皮膚から抽出したDNAからも確定診断できることも大きな利点である。

 3.輸血後GVHDにおけるT細胞レセプター鎖可変部(TCR V)遺伝子を解析するため、Inverse PCR法による未知のTCRV領域遺伝子を増幅し、クローニング後、その塩基配列を決定した。健康者2名と輸血後GVHD患者4検体を検討したところ、健康者では、Vにおいて23種中ほぼ全てのsubfamilyが検出され、末梢血T細胞はpolyclonalであることが示唆された。これとは対照的に、輸血後GVHD患者においては、症例1ではV1、V3、V6、およびV20ファミリー、また症例4ではV2、V3、V6、V13ファミリーに限定された発現が認められた。また症例2においても7種類Vファミリー、症例3においても9種類のファミリーを中心とした発現が認められた。さらに詳しくみても、症例1ではV20ファミリーの比率が圧倒的に高く、症例4においてもV6とV3が大部分を占めていた。

 以上、本論文は輸血後移植片対宿主病において、迅速かつ早期の確定診断法を開発し、その病態において反応性T細胞は特定のTCR鎖のV領域が高頻度に発現されていることがわかった。すなわち、輸血後GVHDの発症に関与するT細胞が少数のクローンに由来することが明らかとなった。輸血後GVHDにおいては、HLAの相違を認識して活性化された比較的少数のT細胞クローンが各種臓器の障害をもたらす反応性T細胞であると推定される。また、反応性T細胞のTCRレパトアを検討することは、その発生機序を解明する上で、特異的治療の可能性を探求するためにも重要と考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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