学位論文要旨



No 111254
著者(漢字) 長谷川,守文
著者(英字)
著者(カナ) ハセガワ,モリフミ
標題(和) イネ葯におけるジベレリンの動態に関する免疫化学的研究
標題(洋) Immunochemical analysis of gibberellins in rice anther
報告番号 111254
報告番号 甲11254
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1545号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 室伏,旭
 東京大学 教授 茅野,充男
 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 助教授 山根,久和
 東京大学 助教授 山口,五十磨
内容要旨

 植物ホルモンの一つであるジベレリン(GA)は,高等植物の伸長生長において顕著な促進作用を示すことが知られているが,一部の植物では花芽形成,単為結果,雄花形成などの生殖生長においても促進作用を持つことが知られている.イネにおいては,栄養生長器官ではGA1が,主要な活性型のGAとして伸長生長に重要な役割を果たしていると考えられている.しかし,生殖器官,特に雄性生殖器官である葯においては,栄養生長器官にはほとんど存在がみとめられないGA4(1)が,単位重量当たりでみると,栄養生長器官に存在するGA1の数千〜数万倍と非常に高濃度に存在していることがわかっている.GA4はGA1と同様に,伸長生長においては,それ自体が促進活性を示す活性型であるとされている.しかし,葯にそれだけ多量に活性型であるGA4が存在し,どのような機能を持っているのかは現在までのところ全くわかっていない.本研究においては,この機能を追究することを主要な目標として,実験を行った.

 

1.葯に存在するGAのELISAを用いた定量(1)ニホンマサリ雄性不稔種の内生GAの定量

 イネ品種ニホンマサリには,人為的に突然変異を誘発させて作出した核遺伝子支配の雄性不稔系統29種類が知られており,これらは葯・花粉の形態観察から花粉の発達のどの時期に生育異常が生じているかが調べられている.田丸らは,それらをより早い時期に発達異常が生じるものから順に7グループに分けている1).それらのうち,早い方から3グループにはほとんどGAが存在しないことが中嶋らの研究2)により明らかにされているので,本研究では後半のグループIV〜VIIについて内生GAを測定することにした.1992年および1994年8月,上記グループおよび正常種の出穂直後の穂から葯を採取し,80%アセトン抽出物を,SepPak C18カートリッジ処理後,ODS-HPLCで分画し,各画分の免疫反応性をELISAによって測定した.正常種について,ODS-HPLC後の各画分の抗GA4抗体に対する免疫反応性を測定したところ,GA4のものと思われる免疫反応性が検出されたが,GC/MSによって確認した結果,この画分にはイネに存在することは知られていなかったGA7(2)もGA4とともに存在することが確かめられた.他方,GA1は検出できなかった.また,既知のGAには同定できない物質由来と考えられ,GA4,7画分と同程度の強度の免疫反応性を示す画分(Fr.X)が認められた.このほかにも,GA4生合成の前駆体と考えられるGA9,24について,それぞれ抗GA9-Me抗体,抗GA24抗体を用いたELISAによって定量を行った.これらの測定結果をまとめたものが表1である.測定した全てのGA画分およびFr.Xについて,花粉の発達に早い段階で異常が起こる系統ほど低い免疫反応性を示すという傾向がみられた.

表1 ニホンマサリ雄性不稔種内生GAの定量結果
(2)生長過程の葯に存在するGA4,7の定量

 イネの葯および花粉の生長の指標として,止葉とその一つ下位の葉の葉耳間の距離(葉耳間長)が一般に用いられている.ニホンマサリでは平均的に葉耳間長約15cmのときに出穂が起こる.この葉耳間長を指標として,出穂前の穂を集め,そこから葯を採取して内生のGA4,7をELISAで定量した結果,図1に示したように出穂3〜4日前に当たる葉耳間長11〜13cmの時期に,葯におけるGA4,7の内生量が急激に増加することがわかった.この時期は花粉にデンプンが集積する時期と一致しているため,それに対するGAの関与の可能性も考えられる.

図1 ニホンマサリ葯のGA4,7内生量と葉耳間長の関係※ 誤差表記でプロットされた点が独立に行った各測定の結果で,折れ線がそれらの平均値を示している.
2.新規GA配糖体16,17-ジヒドロキシ-16,17-ジヒドロGA4-17-O--D-グルコシド(5)の同定

 Fr.Xに存在する抗GA4抗体に免疫反応性を示す物質は,表1に示したように,GA4,7内生量が多い雄性不稔系統では多く,GA4,7内生量が少ない雄性不稔系統では少なかった.本研究で用いた抗体は,3水酸基,4→10ラクトン,7位のカルボキシル基といった活性型GAに共通して存在する構造を特異的に認識することが知られている.以上のことから,Fr.Xに存在する物質は,生合成的ならびに構造的にGA4,7と関連が深い化合物であると推測された.また,Fr.Xの免疫反応性もGA4,7画分のそれと同程度であることから,この物質はかなり大量に葯中に存在していることが示唆された.したがって,次節で述べるイネ葯の免疫組織化学染色において,抗GA4抗体に交差反応性を示す物質はGA4,7と同時に染色されると考えられた.この物質はHPLCや溶媒分画における挙動から,GAの配糖体であることが予測された.そこで,GA配糖体を糖とアグリコンに分解するペクトリアーゼを用いてFr.Xを処理し,処理物をメチルエステル化,TMSiエーテル化してGC/MS分析を行った.その結果,マススペクトルとKovats Retention Index(KRI)が16,17-ジヒドロキシ-16,17-ジヒドロGA4(3)と16,17-ジヒドロキシ-16,17-ジヒドロGA7(4)の文献値と一致する2つのピークが観測され,3については合成した標品と一致することを確認した.このことから,Fr.Xには3および4の配糖体が存在すると仮定し,Fr.Xをパーメチル化してGC/MS分析に供した.その結果,グルコース配糖体に特徴的なフラグメントイオン,および3由来で糖が結合しているとすれば17位しかないと思われるフラグメントイオンを持ち,KRIが他のGA-モノグルコシドのそれに近似しているピークが観測された.そこで,16,17-ジヒドロキシ-16,17-ジヒドロGA4-17-O--D-グルコシド(5)を化学合成し,このパーメチル化誘導体のGC/MS分析を行った.その結果,パーメチル化したFr.Xで観測されたピークとKRI,マススペクトルとも一致するピークが得られ,イネの葯には新規GA配糖体である5が存在することが明らかになった.4の配糖体も存在していると考えられるが,それに対応するパーメチル化誘導体を検出することはできなかった.5は抗GA4抗体に対して交差反応性(GA4に比して6.8%)を示し,Fr.Xに存在する免疫反応性の原因物質の一つであることを明らかにした.

3.免疫組織化学染色によるイネ葯のGAの局在性の追究

 葯内に多量に存在するGAが花粉と葯のいずれに存在するかを明らかにすることは,葯・花粉におけるGAの機能追究を行う上で重要であると考えられる.しかし,イネの葯を花粉と分離することは困難であったので,その局在性を抗GA抗体を用いた免疫組織化学によって明らかにすることを試みた.現在まで,植物ホルモンの免疫組織化学は,ほとんど全て固定剤の溶液に試料を浸漬する固定法を用いており,抗原の移動・流失の恐れがあり,局在性を議論するには少なからず問題点を含んでいる.そこで,本研究ではこれらの問題点を極力排除するために,試料を凍結乾燥後,ジイソプロピルカルボジイミドを用いる蒸気固定によって,GAのカルボキシル基を介して効果的にタンパク質に固定する方法を開発した.この方法で葯を処理し,抗GA1-Me抗体を用いた酵素抗体法により免疫染色を行った結果,ニホンマサリの出穂直後の穂から採取した試料では,葯は強く染色され,また,花粉もある程度染色された.しかし,外穎および内穎は染色されなかった.他方,ウサギ正常血清あるいはGA4-Meを加えて結合部位を飽和させた抗GA1-Me抗体を用いて染色した場合,またはGAを固定できないと考えられるパラホルムアルデヒド溶液で固定した場合には,この染色は観察されなかった.ニホンマサリの雄性不稔種から採取した葯および正常種から葉耳間長を指標に採取した葯についての染色結果,ならびに葯に存在する免疫反応性をHPLCで分画せずに測定した結果(全免疫反応性)を表2に示した.この結果から,本研究で行った免疫染色と内生の免疫反応性物質量とには相関が認められた.ニホンマサリ正常種の葯抽出物をHPLCで分画し,免疫染色に用いた抗体でELISAを行ったところ,主要な活性は前節で述べたFr.Xのものであることが判明した.この結果,本実験では,主として5を含むFr.Xの免疫反応性の原因物質が染色されているものと考えられる.Fr.Xの免疫反応性がGA4,7画分のそれと相関があることは表1から明らかであるが,現在のところ,その局在性についての相関を明らかにするまでには至っていない.

表2 ニホンマサリ雄性不稔種および正常種(葉耳間長を指標に採取)における葯の抗GA1-Me抗体を用いた免疫組織化学染色の結果および葯抽出物の免疫反応性
【まとめ】

 ●ニホンマサリの雌性不稔種において,葯のGA4,7,9,24の内生量と花粉の発達に異常が起こる時期とには相関性が認められた.

 ●葯に存在するGA4,7は葉耳間長11〜13cmの時期に急速に増加する.この時期は花粉においてデンプンの生合成が盛んな時期と一致するため,このこととGAの増加に何らかの関係がある可能性が示された.

 ●新規GA配糖体である16,17-ジヒドロキシ-16,17-ジヒドロGA4-17-O--D-グルコシド(5)を葯の内生物質として同定した.

 ●葯において抗GA1-Me抗体に免疫反応性を示す物質の局在性を観察することができる免疫組織化学の手法を開発し,これらの物質が葯・花粉の両方に存在することが確認された.

【参考文献】1)Tamaru,N.and Kinoshita,T.(1985)Rice Genet.News.,2,76-77.2)Nakajima,M.,Yamaguchi,I.,Takeda,K.,Takahashi,N.and Murofushi,N.(1991),Abstracts 14th International Conference on Plant Growth Substances,P61.3)Hasegawa,M.,Nakajima,M.,Takeda,K.,Yamaguchi,I.and Murofushi,N.(1994)Phytochemistry,37,629-634.
審査要旨

 本論文は,高等植物において様々な生長・生理を制御する重要な生理活性物質である植物ホルモンの1種ジベレリン(GA)のイネ葯中における動態を化学的に追究した結果をまとめたものであり,以下の3章から成る。

 第1章の序論において,研究の背景と問題点を概説したのち,第2章においては,イネ葯中に存在するGAの分析結果ならびに新GA配糖体の構造解明について述べている。高等植物に含まれるGAは,組織・器官によって種類や濃度に大きな差が認められるが,イネ葯中には極めて高濃度に

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 GAが存在すること,およびそれらGAはすべてGA4(1)のようなC-13位に水酸基を持たないものであることが知られている。他方,イネ雄性不稔種に葯中のGA濃度が低いものが知られている。申請者は,正常品種ニホンマサリおよびそれより人為的に得られた雄性不稔種の中で葯の生長後期において異常を生じる数種を対象とし,内生GAの同定・定量を行った。1992年,および1994年に栽培,採取して得た葯の抽出物を精製し,ELISAならびにGC/MSにより分析を行った結果,従来イネにおける存在が知られていなかったGA7(2)を検出したほか,早い段階で花粉の発達に異常を生じる雄性不稔種ほどGA含量が低くなること,ならびに出穂1〜2日前に葯中のGA4/7の含量が急激に増加することを明らかにした。さらに,葯抽出物中に既知のGAに一致せず,GA4/7画分と同程度の免疫反応性を示す画分の存在することを見出した。

 ついて,葯中に存在する新規GAグルコシドの構造の追究を行った。上述の未知物質は,抗GA抗体に対する反応性から,GA4/7に近似した構造を有すること,およびHPLCにおける挙動からGAの配糖体であると推定した。酵素分解によりアグリコンを遊離させ,これをGC/MS分析に供したところ,GA4およびGA7のエキソメチレンがジオール体となった化合物3,4に同定され,また配糖体のパーメチル誘導体のマススペクトルより糖部分はグルコースであることが示された。そこで,GA4より当該配糖体を化学的に調製し,そのGC/MS分析を行った結果,上述の新GA配糖体に5の構造を有する物質が含まれていることが確認された。ただし,GA7の対応する配糖体の存在を確認するまでには至らなかった.5およびGA7のそれに対応する配糖体の抗GA4抗体に対する免疫反応性により,それらは葯中のGA免疫反応性の主要成分であると考えられるが,それらの生理的役割については不明である。

 第3章においては,ジベレリンの免疫組織化学における方法論,ならびにそれによるイネ葯中のGAの動態の追究結果について述べている。現在,微量のGAを超高感度で分析することが可能となっているが,GAの局在性を微細な組織・器官レベルで追究するまでには到っていない。その点を免疫化学的手法により克服する試みとして以下のような抗体を用いる顕微鏡的追究を行った。ジベレリンは水溶性を有する低分子化合物であることから,植物組織中における固定法が問題となる。従来の液相中での固定法では移動が起こる可能性が高いことから,蒸気による固定を試みた。すなわち,試料を凍結乾燥後,ジイソプロピルカルボジイミドを用いる蒸気固定によって,GAのカルボキシル基を介して組織中のタンパク質に固定する方法を開発した。この方法で葯を処理し,抗GA1-Me抗体を用いる酵素抗体法で免疫染色を行った結果,出穂直後のニホンマサリ正常種の葯は強く染色され,また花粉もある程度染色された。しかし,外穎および内穎は染色されなかった。それに対して,雄性不稔のニホンマサリの葯,正常種でも出穂前の花粉未熟期の葯は染色されなかった。免疫染色に用いた抗体によるELISAによる分析から,本実験で得られた結果においては,主として5を含むGA配糖体が染色の主要な原因物質であると考えられる。

 以上,本論文は,イネの葯という微細,かつ重要な器官に含まれるジベレリンについて主として免疫化学的追究を行い,重要な知見をまとめるとともに,ジベレリンの免疫組織化学的分析法を追求し,その有用性を実証したものである。すなわち,その成果は学術的ならびに応用的に価値あるものと認め,審査委員一同は申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判定した。

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