学位論文要旨



No 111204
著者(漢字) 相山,康道
著者(英字)
著者(カナ) アイヤマ,ヤスミチ
標題(和) グラスプレス・マニピュレーションに関する研究
標題(洋)
報告番号 111204
報告番号 甲11204
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3448号
研究科 工学系研究科
専攻 情報工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,博允
 東京大学 教授 田中,英彦
 東京大学 教授 武市,正人
 東京大学 教授 三浦,宏文
 東京大学 教授 新井,民夫
内容要旨

 本論文では,ロボットハンドのみでは対象物を把持せずに,テーブル等周辺環境をうまく支えとして用いることにより,器用かつ容易な操りの実行を目的としたロボットマニピュレーションとして,「グラスプレス(grasp-less)・マニピュレーション」を提案し,その特徴,問題点およびそれに対する手法を明かにする.

 近年のロボットマニピュレーションの研究では,従来のピックアンドプレイス型の操りでなく,「人間のような器用な操り」を目指した「デクストラス・マニピュレーション」として,センサベーストハンドやパワーグラスプ,持ち変え操作等.多くの研究がなされている.このようなさまざまな人間の器用な操りのうち,机や床面等環境を利用して小さい力で対象物を操作する,という手法は,大きさの割に力が出せないというロボットマニピュレータの問題点を解決するための有力な手段と考えられ,このような手法をロボットマニピュレーションに採り入れた「グラスプレス・マニピュレーション」を提案する.人間による物体操作では,対象物をがっちりと掴んだまま操作することは少なく,指で物体を操ったり,転がしたり,押したり,引っかけたりして,極めて効率的かつ器用に物体を操作する.このように対象物を固定した把持(grasp)をすることなく,物体に働く重力,床が支える力,指が加える操作力などの釣り合いのもとで対象物を操作することをグラスプレス・マニピュレーションと呼ぶ.

 グラスプレス・マニピュレーションの最大の特徴は環境と接触を保ちながら操りを実行する点である.これにより対象物の重量は床面等で支えられ,ロボット指に必要となる力を小さくできる.この接触状態によりグラスプレス・マニピュレーションの分類を行い,大きく3つのタイプ,すなわち対象物と環境が面接触しているもの,線接触しているもの,点接触のもの,に分かれることを示す.この接触は各々3本,2本,1本の仮想的な指と考えられ,これより対象物を支えるため,もしくは操るために必要なロボット指の本数を一般の多指ハンドよりも少なくすることができる.

 これら3つの操りタイプには各々,図1のようなpushing(押し操作),転がし操作,ピボット操作という3つの操り手法が相当する.pushingは平らなテーブル上の物体を側面から押して滑べらせて移動させる手法,転がし操作は対象物の底面のヘリを中心にパタパタと倒して転がしながら運ぶ手法,ピボフト(旋回)操作は大きな家具などを運ぶのと同様に対象物の角のみを接地させて回しながら運ぶ手法である.

 グラスプレス・マニピュレーションの各タイプは,接触状態の違いからその操り手法の性質も異なり,pushingは操作が容易で移動速度が速い,転がし操作やピボット操作は床の段差を乗り越えられる,等それぞれである.この相違点をうまく利用し,対象物や環境などの状況に応じて各操り手法を組み合わせることにより,様々な用途に適した動作が達成できる.

 またグラスプレス・マニピュレーションにおいては,操りの最中に対象物が環境と接触しているために,図2のような2つの問題が存在する.まず1つ目には,「環境-マニピュレータ-対象物-環境」という閉じたループが生じるため,マニピュレータや対象物の僅かな位置ずれから過大な力を発生してしまう危険性がある.また2つ目には,対象物はマニピュレータにしっかりと把持・固定されていないため,対象物と環境との間に働く摩擦力の大きさによりその運動が決定される場合があるが,摩擦力は本来正確に見積もることが困難なため,対象物の運動が決定できなくなるおそれがある.

 1つ目の問題点に対する解決法としては,一般に多指ハンドや複腕協調等で用いられている力センサに基づく方法が考えられる.しかし対象物と環境との間に働く力は測定することはできず,大きさが不確定な摩擦力を扱うグラスプレス・マニピュレーションでは指先に働く力のみを測定するのは良い方法ではない.そこで本研究では,力制御によらない手法を2種提案する.

 まず1種類目として,受動関節を用いる方法を提案する.これは人間でいえば,指関節の剛性を低くすることに相当する.問題となる閉ループの中,例えばロボット指の関節の剛性を0とする,もしくは,ハンドの先場にフリージョイントを新たに導入することにより,マニピュレータや対象物の位置誤差を閉ループ内部に発生する力でなく,関節の角度誤差に変換することができる.位置誤差による内力の発生を抑えるためには,作業空間の自由度分の受動空間がその閉ループ内に存在すればよい.すなわち3次元での操りならば6自由度,2次元での操りならば3自由度の受動関節があればよい,ここで,グラスプレス・マニピュレーションの特徴として対象物と環境の接触が存在するが,この接点や接辺,および対象物とロボット指との接点を仮想的な受動関節とみなすことができる.よって,図3のように新たに用意する受動関節部はその不足分のみでよい.本研究では操作のこの仮想的なリンク機構の力学的な解析および操作性等の性質の解析を行ない,実機による実験によりその妥当性を示している.

 2種類目の手法としては,上記のフリージョイントを用いる場合と逆に,剛性を高めた指先および環境による幾何的な拘束のみを考慮し,それらの拘束がロボット指と環境とで重複しないことにより内力の発生を抑える手法が考えられる.これは,対象物や作業の種類によっては滑べってもぶつけても構わないものも多く,このような場合に人が力の釣り合いや速度,加速度をほとんど考慮せず,ただ指先を適当に動かすだけで希望通りの操作を非常に高速に操りを行えることを参考として提案する手法である.すなわち例えばマニピュレータを動かす場合に.環境から拘束を受けている方向の位置誤差は対象物との滑べりとなるようにし,拘束を受けていない方向についてのみロボット指により対象物を動かす.例えば床面上に置いてある対象物を側面から押す場合は,床面方向に押しつけてしまわないようにわざと多少上向きに指を動かす.それでも対象物は重力により指から滑べり,床面との接触を維持する.

 2つ目の問題点については,グラスプレス・マニピュレーションでは,ピックアンドプレイス型の操りと異なり対象物とハンドは非固定なため,ロボットの内界センサのみでは対象物の位置・姿勢を監視することができない.指を増やし幾何学的に対象物の運動を決定してしまう,等機構を複雑化することでもこの問題を解決することはできるが,それでは機構の簡素化を狙いの1つとしたグラスプレス・マニピュレーションの考えに反する.そこで対象物を直接監視する外界センサとして視覚センサを用いたハンドアイシステムが重要となる.視覚を用いることにより操作中の対象物の運動を監視するだけでなく,監視した運動からそこに働く摩擦力の大きさをある種度見積もることが可能となる.すなわち,どこを押した場合にどれだけの大きさの摩擦力が働いたか,を数値的に求めることはできなくとも,床面上を滑べった,傾いた,等の運動を監視することにより操作手法の選択に用いることができる.

 以上を基に,実際に視覚による監視を利用したグラスプレス・マニピュレーションの実験を行なう.操作としては図4のような1本指によるピボット操作(点接触操作)を取り上げる.この操作は対象物と指の接点と床面との接点を結ぶ軸回りの回転が制御不能であり,その運動を視覚を用いて監視しなければ操作不可能である.このような状況で操りを達成するためには,ロボットの指先位置をうまく動かすことにより対象物の姿勢を変化させ,重力によって問題の2点を結ぶ軸回りに働くモーメントを,望みの進行方向へ向くように設定する必要がある.そこで,この操りがうまく行なえるための力学的条件を求め,動作のシミュレーションを行なうことによりロボット指と対象物の接触位置,対象物の傾け量などのバラメータを設定する.またこの条件に基づいて,実際にPUMA型マニピュレータと高速相関演算機能を有する視覚処理ボードを用いて操り実験を行ない,操り動作の検証を行なった.

図表図1 さまざまなタイプのグラスプレス・マニピュレーション / 図2 剛体閉ループ機構(上)と,摩擦による運動の不確かさ(下) / 図3 受動関節と仮想リンク機構を利用した操り手法 / 図4 重力によるモーメントを利用した1本指ピボット操作

 本論文により,今後のデクストラス・マニピュレーションの中心となるであろう「アーム+多指ハンド」という構成で,器用で容易な操りを達成できる手法を示した,この中でも力制御によらない操り手法は,現在一般に広く用いられているロボットにも僅かな付加機構で達成することができ,直ちに実現することも充分に可能な手法と考えられる.

審査要旨

 本論文は、「グラスプレス・マニピュレーションの研究」と題し、8章からなる。ロボットによる物体操作は、これまで、物体をしっかりと把持しているという前提のもとでハンドの位置と姿勢を制御することによってのみ実現されてきた。これに対し、我々人間は物体をがっちりと掴んだまま操作する事は少なく、指で物体を操ったり、転がしたり、押したり、引っかけたりして、極めて効率的かつ器用に物体を操作する。この様に物体を固定的にグラスプすることなく、物体に働く重力、床が支える力、指が加える複数の操作力などのつり合いのもとで物体を操作することを、グラスプレス・マニピュレーションと呼ぶ。本論文は、ハンドと物体のゆるい保持関係のもとで、テーブルや床面等の周辺環境をうまく支えとして用いることによる、器用かつ効率的な物体操作を実行を目指す事を特徴とする、新しいタイプの物体操作手法としてのグラスプレス・マニピュレーションを提案し、その基礎理論および実験面での研究をまとめたものである。

 第1章は序論であり、本研究の目的及び本論文の構成について述べている。本論文の内容は、グラスプレス・マニピュレーションの提案、人間のやり方を参考にしたグラスプレス・マニピュレーションの実施方法、視覚を用いたグラスプレス・マニピュレーションの制御、という3つの部分に分けられる。

 第2章および第3章は新しい物体操作手法としてのグラスプレス・マニピュレーシッンの提案に関する章である。第2章「グラスプレス・マニピュレーションの操り手法とその分類」では、まず、グラスプレス・マニピュレーションの定義を行なっている。操作される対象物と環境との接触状態によって、面接触、線接触、点接触の3つに分けられるが、それぞれに対応してグラスプレスマニピュレーションは、押し操作、転がし操作、ピボット操作の3つに分類されることを示す。前の2種類については、従来から研究されてきた操り手法が割り当てられるが、本論文では第3の新しい手法としてピボット(旋回)操作を提案するとともに、これらの操作における力学的条件について論じている。また、ピボット操作については実験によりその実現法を示している。

 第3章「グラスプレス・マニピュレーションの特徴と問題点」では、2章で分類した各タイプ毎の特徴をまとめ、各タイプがどのような物体操作に向いているか、または不適かを示す。またこの向き不向きをまとめることによりタスクに応じた操り手法の選択が重要であることを示し、これらを組み合わせる事によって、段差を乗り越えて所望の位置・姿勢へ動かしていくときの操作系列について考察している。更に、重力を考慮に入れることにより別の分類を行ない、Gravity Closureという概念を提案するすると共に、グラスプレス・マニピュレーションならではの問題点として、閉ループ機構の存在および、摩擦による不確かさの存在を示す。

 第2の内容として、人間の手法を参考としたグラスプレス・マニピュレーションの実現法について述べている。即ち、3章で示した2つの問題点のうち、閉ループ機構の存在による過大な内力発生の危険性を避けるために、2種類の方法を提案する。まず、第4章「フリージョイントを利用した閉ループ機構の安定化」では、人が指先で物体をもてあそぶ時の方法を参考に、指先にフリージョイントを導入することにより、マニピュレータの先端に位置誤差が発生した時でも、不必要な操作力に変換されずにフリージョイントの関節角誤差となり、その結果過大な内力の発生を避ける事が出来ることを示し、これを力学的に詳細に解析すると共に、実験によりこの考えの妥当性を示している。

 第5章「拘束機構を用いた閉ループ機構問題の回避」では、もうひとつの手法としてフリージョイントの場合とは逆に、剛性を高めた指による、幾何的な拘束のみを考慮し、その拘束が指と環境とで重複しないことにより内力の発生を抑える手法を提案している。これは人が物体を乱暴ではあるが高速に取り扱う場合に、対象物に働く力や速度、加速度をほとんど考慮せずに、ただ指先を適当に動かすだけパタンパタンと倒しながらでも希望通りの操作を行なっていることを参考として提案する操作方法であり、力学的つり合いを考慮しなくても、幾何学的な拘束だけで対象物を高速に操作しうる手法として論じている。

 第3番目の内容は、視覚を用いたグラスプレス・マニピュレーションである。これは、3章で挙げた2番目の問題点である摩擦による不確かさに対する対策である。まず第6章「摩擦の不確かさに対するハンドアイシステムの構築」では視覚の有意性について述べる。グラスプレス・マニピュレーションにおいては、その名の通り操作中にロボットハンドで対象物をしっかりとは把持してはいないため、物体操作中に対象物とマニピュレータの間の接触点ですべりを生じたり、姿勢が変化してしまう危険性が存在する。このようなすべり等は対象物の内界センサでは計測が困難であり、このために視覚は不可欠である。ここでは、視覚の利用法として対象物の追跡および、事前の摩擦の大きさの見積りを提案しており、実際にハンド・アイ・システムを構築して、視覚を用いた操作中の物体の追跡や、摩擦の見積もりの実験を行っている。また第7章「視覚を用いた操り実験」では、実際にグラスプレス・マニピュレーションに視覚を組合せ、1本の指で対象物を操作する実験を行なっている。操作としては1本指によるピボット操作を取り上げるている。この操作は対象物と指の接点と床面との接点を結ぶ軸回りの回転が制御不能であり、その運動を視覚を用いて監視しなければ操作不可能である。そこで、この操りがうまく行なえるための力学的条件を求め、動作のシミュレーションを行ない、この条件に基づいて、実際にPUMA型マニピュレータと高速相関演算機能を有する視覚処理ボードを用いて操り実験を行ない、著者の主張の妥当性を示している。

 以上、これを要するに本論文は、ロボットによる人間の様な器用かつ効率的な操り動作の実現を目的として、物体の新しい操作手法であるグラスプレス・マニピュレーションを提案すると共に、その基礎理論および実験をまとめたもので、情報工学上貢献するところ少なくない。

 よって、著者は、東京大学大学院工学系研究科情報工学専攻における博士の学位論文審査に合格したものと認める。

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