学位論文要旨



No 110945
著者(漢字) 石川,尚
著者(英字)
著者(カナ) イシカワ,タカシ
標題(和) 三次元クライオ電子顕微鏡法による骨格筋の細いフィラメントの構造解析
標題(洋) Structural analysis of skeletal muscle thin filaments by three-dimensional cryo-electron microscopy
報告番号 110945
報告番号 甲10945
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2858号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀田,凱樹
 東京大学 教授 川戸,佳
 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 助教授 桑島,邦博
 東京大学 助教授 陶山,明
内容要旨

 筋収縮はカルシウムによって制御され、アクチン・トロポミオシン・トロポニンの三種類のタンパク質が制御にかかわることがわかっているがその分子レベルでのメカニズムはまだ解明されていない。本研究ではアクチン・トロポミオシン・トロポニンから再構成された骨格筋の細いフィラメントの三次元構造から制御の機構を議論する。構造研究の方法として用いたのはDubochet等(1983)によって開発されたクライオ電子顕微鏡法と、DeRosier・Moore(1970)によって開発された三次元再構成法と組み合わせた三次元電子顕微鏡法である。この方法は試料を液体窒素温度で凍結し電子顕微鏡像を撮影するため、溶液条件を自由に変えることができるという利点を持つ。この方法でカルシウム存在下と非存在下での細いフィラメントの三次元構造の変化を求め、骨格筋の収縮の制御を明らかにすることが目標である。また、通常の三次元再構成の手法に加え、わずかな構造の変化、揺らぎをも検出するための解析法を開発してその有用性をも示したのでその手法についても報告する。

第1章らせん対称な試料の電子顕微鏡像を試料の方向によらず分類できる方法の提唱

 電子顕微鏡からの三次元再構成の際、1つの像だけではs/n比が悪すぎるので平均化が必要である。しかし、多数の像のなかに実は2種類の画像が混じっているとき、そのまま平均してしまうと2種類のどちらとも異なる像を得ることになる。いままでの方法では、1つの代表となる試料を決め、それに他の試料を合わせてみて、合わないものは異常な試料として捨て、合うものだけを平均してそれを新たな代表として、個々の試料を合わせてみるという作業を繰り返してきた。しかし、この方法には欠点がある。そもそも、最初に1つの試料を代表として選ぶ必然性はない。そして、2つの試料を比較するときには向きを合わせなければならない。代表の試料を使うという方法(教師ありの方法といわれる)は教師もs/nが悪いため向きを合わせるのが極めて難しい。いきおい、間違った向きで議論したり、代表となる試料の選び方が誤っていたために正しい結果を導かなかったりする危険性がつきまとう。このため、本研究ではらせん対称性をもつ試料について

 1.1つの試料を特別に代表にしなくてもよく(教師無しの方法という)、2.試料の向きによらない

 電子顕微鏡像の解析法を開発した。これは大量の画像から質の悪い画像を取り除いたり、2つのグループを分離したりすることに使うことができる。

 これは主成分分析という多変量解析の1手法を用いるが、その際上の2.の条件を満足させるように画像データを下の式のように変形する。

 

 但し、r、は円筒座標、は三次元像の密度である。gは複素数であるがその絶対値を主成分分析にかける。gの絶対値はらせん対称性をもった試料の軸を中心とした回転、軸方向への平行移動、方向の反転に対して不変である。実際にこの分析の例としてアクチンとアクチン-トロポミオシン複合体の電子顕微鏡像を混合し、gの絶対値を主成分分析した例を図1にしめす。白丸がアクチン、黒丸がアクチン-トロポミオシンである。左側にアクチンのグループができ、右側にアクチン-トロポミオシンのグループができる。いくつか相手のグループに混じるものがあるが(矢印で示した)これは単に試料が悪いのかそれともアクチンの中に2種類の構造のものがあることを示しているのかはいまのところわからない。

図1
第2章三次元クライオ電子顕微鏡法で明らかになった骨格筋の細いフィラメントのカルシウムによる構造変化

 筋収縮はカルシウムによって制御されている。制御に関わる因子は細いフィラメントを形づくる3種類のタンパク質、即ちアクチン・トロポミオシン・トロポニンである。カルシウム非存在下ではアクチンとミオシンの滑り運動は抑制される。カルシウムイオンがトロポニンに結合すると抑制はなくなり、アクチンとミオシンの相互作用が可能になる。しかし、このカルシウムによる制御の分子レベルでのメカニズムは明らかになっていない。有力な仮説の1つが「立体障害説」である(Huxley(1972)Cold Spring Harbor Symp.Quant.Biol.37,361)。カルシウム非存在下ではアクチン上のミオシン結合部位にトロポミオシンがあり、アクチンとミオシンの相互作用は阻害される。カルシウム存在下ではトロポミオシンが移動し、アクチンとミオシンは相互作用できるようになるという説である。この説を検証するためにはアクチン上のトロポミオシンの位置をカルシウム存在下と非存在下で決定することが重要である。今まで、主にX線回折と三次元電子顕微鏡法でトロポミオシンの位置は様々に議論されてきたが決定的な結果はない。これはX線回折が分解能は高いが位相情報がないため三次元構造を直接見られないこと、電子顕微鏡法は実像を得られるかわりに、染色をした場合自由に溶液条件を設定できず、無染色では分解能が上がらず、特にカルシウム非存在下の像が得られなかったことによる。

 本研究では無染色・氷包埋の試料の電子顕微鏡像からはじめて三次元像を得た。特に純粋にアクチン・トロポミオシン・トロポニンの三種からのみなるフィラメント(再構成フィラメント)の三次元像は初めてであり、またカルシウム非存在下での三次元像も初めてである。得られた結果に基づき新たな立体障害説を提案する。

 F-アクチン、アクチン-トロポミオシン-トロポニン(カルシウム存在下と非存在下)の3種類の試料をマイクログリッドにのせ、液体窒素温度の液体エタンで急速に凍結し電子顕微鏡像撮影を行い、試料のらせん対称性を利用して三次元再構成を行った。質のよい画像情報をえるため、50本という今までにない大量のデータを平均し、S/N比をあげた。

 三次元像を図2に示す。得られた三次元像は、アクチン-トロポミオシン-トロポニン複合体にカルシウム存在下と非存在下で別の部分にアクチンだけの像には見られない電子密度があることを示している。カルシウム存在下でのみ存在する電子密度は以前アクチン-トロポミオシン複合体(トロポニンなし)で発表されていたのと同じ位置にある。即ち、Holmes等のモデル(Holmes et.al(1990)Nature 347,44)で第3、4ドメインである。カルシウム非存在下での電子密度はアクチンの第1、2ドメインのミオシン結合部位にある。染色された試料の電子顕微鏡像からの三次元像(Lehman et.al(1994)Nature 368,65)と比較するとどちらもアクチンの第1、2ドメインにあるという点では同じだが染色された試料の結果が第3、4ドメイン近くにあるのに対して我々の結果は最も第3、4ドメインからはなれている。

図2

 アクチン-トロポミオシン-トロポニンにあってF-アクチンにない電子密度がトロポミオシンだとすれば、我々の三次元再構成は立体障害説と矛盾しない。カルシウム非存在下ではトロポミオシンがアクチン上のミオシン結合部位(第1ドメイン)にあり、カルシウム存在下では移動するからである。

(結論)

 我々はクライオ電子顕微鏡法ではじめて再構成されたアクチン-トロポミオシン-トロポニン複合体の構造を今までにない高分解能で得ることができた。特にカルシウム非存在下の構造を初めて得て骨格筋収縮の制御機構を議論することができた。その結果は立体障害説を克明に吟味できるもであり、新しいタイプの立体障害説を提案できた。

審査要旨

 本論文は2章からなり、第1章ではらせん対称性をもつ試料の電子顕微鏡像の画像分類法の開発について、第2章では三次元クライオ電子顕微鏡法を用いて明らかになった骨格筋の細いフィラメントのカルシウムイオンによる構造変化について述べられている。

第1章らせん対称性を持つ試料の電子顕微鏡像を試料の方向によらずに分類する方法の開発

 電子顕微鏡像からの三次元再構成の際、1つの像だけではs/n比が悪すぎるので平均化が必要である。しかし、多数の像のなかに実は2種類の画像が混じっているとき、そのまま平均してしまうと2種類のどちらとも異なる像を得ることになる。いままでは、1つの代表となる試料を決め、それに他の試料を合わせてみて、合わないものは異常な試料として捨て、合うものだけを平均してそれを新たな代表として、個々の試料を合わせてみるという作業を繰り返す方法がとられてきた。しかし、この方法には欠点がある。そもそも、最初に特定の1つの試料を代表として選ぶ必然性はない。そして、2つの試料を比較するときには向きを合わせなければならない。代表の試料を使うという方法(教師ありの方法といわれる)は教師もs/n比が悪いため向きを合わせることが極めて難しい。いきおい、誤った向きのまま合わせようとしたり、代表となる試料の選び方が誤っていたために正しい結果を導かなかったりする危険性がつきまとう。このため、本研究ではらせん対称性をもつ試料について、1つの試料を特別に代表に選ばなくてもよく、また試料の向きによらない電子顕微鏡像の解析法を開発した。これは電子顕微鏡像をフーリエ変換・フーリエ-ベッセル変換したgという変数の絶対値を主成分分析する方法であり、大量の画像から質の悪い画像を取り除いたり、2つのグループを分離したりすることに使うことができる。本論文ではアクチンとアクチン-トロポミオシン複合体がこの手法で分類できることが示されており、その有用性が証明されている。

第2章三次元クライオ電子顕微鏡法で明らかになった骨格筋の細いフィラメントのカルシウムイオンによる構造変化

 筋収縮の分子機構はカルシウムイオンによって制御されている。制御に関わる因子は細いフィラメントを形づくるアクチン・トロポミオシン・トロポニンといわれる3種類のタンパク質である。カルシウムイオン非存在下ではアクチンとミオシンの滑り運動は抑制される。カルシウムイオンがトロポニンに結合すると抑制はなくなり、アクチンとミオシンの相互作用が可能になる。しかし、このカルシウムイオンによる制御の分子レベルでのメカニズムはまだ明らかになっていない。それを説明する有力な仮説の1つが「立体障害説」である(Huxley(1972)Cold Spring Harbor Symp.Quant.Biol.37,361)。その説によればカルシウムイオン非存在下ではアクチン分子上のミオシン結合部位にトロポミオシンが位置しており、アクチンとミオシンとの間の相互作用は阻害されている。カルシウムイオン存在下ではトロポミオシンが移動し、アクチンとミオシンは相互作用できるようになるとしてカルシウムイオンの作用機序が説明される。この説を直接的に検証するためにはアクチン上のトロポミオシンの位置をカルシウムイオン存在下と非存在下で決定することが最も重要である。

 本論文では無染色・氷包埋の試料の電子顕微鏡像からはじめて三次元像を得た。特に純粋にアクチン・トロポミオシン・トロポニンの三種のタンパク質のみからなるフィラメント(再構成フィラメント)の三次元像を得たのは初めてであり、またカルシウムイオン非存在下での三次元像も初めてここに報告された。その結果得られた結果に基づき本論分の著者は新たな立体障害説を提案している。

 F-アクチン、アクチン-トロポミオシン-トロポニン(カルシウム存在下と非存在下)の3種のタンパク質複合体試料のクライオ電子顕微鏡像撮影を行い、試料のらせん対称性を利用して三次元再構成を行った。質のよい画像情報をえるため、50本という今までにない大量のデータを平均し、s/n比をあげた。得られた三次元像から、アクチン-トロポミオシン-トロポニン複合体にはカルシウムイオン存在下と非存在下で異なった位置にアクチンだけの像には見られない電子密度があることが示された。カルシウムイオン存在下でのみ存在する電子密度は以前アクチン-トロポミオシン複合体(トロポニンなし)について発表されていたものと同じ位置にある。即ち、Holmes等のモデル(Holmes et.al(1990)Nature 347,44)で第3、4ドメインとよばれる位置である。しかし、カルシウムイオン非存在下では新しく電子密度の高い構造がアクチンの第1、2ドメインのミオシン結合部位に見いだされた。染色された試料の電子顕微鏡像からの三次元像(Lehman et.al(1994)Nature 368,65)と比較すると、いずれの場合もアクチンの第1、2ドメインにあるという点では同じだが、染色された試料の結果が第3、4ドメイン近くにあるのに対して本論文の結果は最も第3、4ドメインから離れている。本論文で用いられたクライオ電子顕微鏡の手法は、分子のより生理的条件に近い構造を明らかにしたものと考えられる。

 アクチン-トロポミオシン-トロポニンに存在し、F-アクチンには存在しない電子密度がトロポミオシンそのものであるとすれば、本論文で示された三次元再構成像は立体障害説と矛盾しない。カルシウムイオン非存在下ではトロポミオシンがアクチン上のミオシン結合部位(第1ドメイン)にあり、カルシウムイオン存在下では移動することを反映していると考えられるからである。

 なお、本論文は若林健之教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断する。

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