1、奥村綱雄氏の博士論文"Time Series Analysis of the Japanese Economy-Asset Markets and Economic Fluctuations-"(日本語訳「日本経済の時系列分析-資産市場と景気変動-」)は、日本経済のマクロ的な側面を、様々な角度から実証的に分析することを試みた研究である。 言うまでもなく、日本経済のマクロ分析は多くの経済学者によって研究されてきたテーマである。さらに、奥村氏がここでとりあげている具体的なテーマ、住宅投資・貨幣需要・経常収支の変動のそれぞれについても多くの研究の蓄積がある。本論文の功績は、これらのテーマについて最新の実証分析技術を用いて研究を深めた点にある。そのポイントは、最近のミクロ的基礎に基づくマクロ経済理論から導かれる仮説を、その推計に最も適した高度な計量経済学の手法、より具体的には時系列分析の手法、を使って、検定するということである。 2、本論文の構成は次のとおりである。 1,Introduction 2,Housing Investment and Residential Supply in Japan:An Asset Market Approach 3,The Stability of the Japanese Money Demand Function:An Euler Equation Approach 4,The Fluctuations in Inevestment,Savings and the Current Account in the Japanese Economy 5,Time Series Analysis of Fluctuations in the Japanese Current Account 各章の内容は以下のとおりである。 3、第2章"Housing Investment and Residential Land Supply in Japan-An Asset Market Approach-"(「日本の住宅投資と住宅地供給-資産市場分析のアプローチ-」)では、日本の住宅市場を住宅需要者、住宅供給者、の主体的均衡、及び市場の均衡を厳密に表現する理論を用いて分析している。住宅市場の均衡モデルは、consumption capital asset pricing model(CCAPM)と住宅産業の住宅投資関数と住宅地供給関数を結び付けることによって導かれる。こうして導かれた理論的な条件が、Hansenのgeneralized method of moments(GMM)を使って推定され、この論文のモデルが日本の住宅市場の良い近似を与えていることが示される。最後に、この推定結果に基づいたシミュレーションが行なわれ、日本の住宅投資の変動要因が調べられる。この結果より、1970年代の住宅投資の変動は第1次石油ショックにより引き起こされた生産性の低下により主に説明され、1980年代前半の住宅投資の低迷は、日本の成人人口の成長率の低下により主に説明されるという結論が得られる。 第3章"The Stability of the Japanese Money Demand Function-An Euler Equation Approach-"(「日本の貨幣需要の安定性について-オイラー方程式のアプローチ」)では、日本における貨幣需要行動を分析している。貨幣需要関数の構造型であるSidrauski(1967)のmoney-in-the-utility functionが金融自由化によりシフトしたかどうかを、共和分の分析手法を用いて分析している。ここでも、分析の対象になる構造方程式がアドホックにではなく、経済主体の主体的均衡の条件から導かれている。また、共和分の分析手法は、モデルの変数が非定常性を示しているために用いられている。逆に従来の推計手法では正確なパラメーターの推計値が得られないことも示されている。推計で得られた結果は、(i)money-in-the-utility functionは、金融自由化によりシフトした。そのため、その誘導型である貨幣需要関数もシフトした。これは、金融自由化による貨幣の流動性コストの低下が原因と考えられる。(ii)効用関数はホモセティックでもコブ-ダグラス型でもなかった。これまで、money-in-the-utility functionの推定は、効用関数をコブ-ダグラス型に仮定したうえで、GMMを使って行なわれることが多かったが、本稿の結果は、この方法が不正確であることを意味している。(iii)1988年から1991年までの貨幣量の急速な上昇と1991年以降の急速な減少は、money-in-the-utility functionを用いた「均衡」モデルでは説明できない。 第4章"The Fluctuations in Investment,Savings and the Current Account in the Japanese Economy"(「日本経済における投資、貯蓄及び経常収支の変動について」)では、国際資本市場の統合の度合と日本の経常収支、投資、貯蓄、政府の歳入と歳出の時系列的性質を、Stock and Watson(1988)とVredin and Warne(1991)により開発されたcommon trend modelを使って分析している。その結果、経常収支はcounter-cyclicalであり、貯蓄と投資はprocyclicalであることが分かる。また、固定レート期には貯蓄と投資の一時的要素どうしの相関は1に近いが、変動レート期では、非常に小さくなる。この結果は、少なくとも変動レート期では、資本移動がほぼ完全であることを示している。さらに、政府の税収と貯蓄の一時的要素どうしは負に相関していること、交易条件と貯蓄の一時的要素どうしは正に相関しているという結果も得られる。また経常収支は、固定レート期では、交易条件の一時的要素と正に相関しているが、変動レート期では、負に相関している。加えて、経常収支と投資の相関は、変動レート期、特に1980年代では強く負であった。従って、この結果から、経常収支の変動は主に投資の変動で説明されるように考えられる。 第5章"Time Series Analysis of Fluctuations in the Japanese Current Account"(「日本の経常収支変動の時系列分析」)では、日本の経常収支の変動の源泉を、第4章の分析を基に、動学的二国モデルと構造的VARを使って分析している。構造的VARモデルの識別のために用いられるのは、貨幣の中立性や石油価格の外生性といった長期的関係である。日本の資産市場と実質変数の関係も同時に分析されている。主な結果は、(i)石油価格ショック、政府支出ショック、生産性ショック、マネタリーショック及び効用関数へのショックがそれぞれほぼ同等に、経常収支の変動に対して重要である。ゆえに、貨幣的要因を無視する実物的景気循環論は、日本の経常収支の分析には不十分な分析手法である。(ii)実証結果は、金融政策の指標として金利を使うか貨幣供給量を使うかによって影響を受ける。金利を用いた場合は、金融政策の影響がより強く検出され、興味深い。 4、以上に要約したように、本論文はいずれの章においても重要な知見が得られており、力作である。特に、以下の点が評価できる。 これまでアドホックな関数形を仮定して進められてきた日本経済のマクロ分析が、ミクロ経済的な基礎を持つマクロ理論によって厳密に再構成されたこと。 さらに、そうした理論から導かれる仮説検定が、やはり最新の計量分析手法を用いて行われている点。 特に後者の点に配慮して進められた日本のマクロ経済分析は数少なく、本論文が一つの先駆的業績となろう。より具体的にはGMMの手法の使用、またいわゆるVARモデルの推定において、変数の定常性に注意を払った推計、また構造的な意味をVARモデルに持たせた場合の厳密な推計などにその特徴が見られる。 分析で得られた結論としても、第2章では、住宅投資の変動要因として生産性へのショック、人口構成の変化が指摘されている点、第3章では効用関数のシフトが貨幣需要関数のシフトにつながったこと、及びその金融自由化との関連が指摘されている点、第4章では経常収支変動と投資の関係がクローズアップされている点、第5章では実物的景気循環論が厳密には成立しない点の発見などいずれも高く評価できる。 5、本論文の問題点を挙げるとすれば次のとおりである。それは最新の理論と最新の実証分析の手法が使われてはいるが、得られている結論がきわめて目新しいものとは言いにくい点である。すなわち、前節の末尾に要約したような本論文の結論はそれぞれもっともらしいが、既に様々な研究者によって指摘されてきたものが多く、本論文の貢献はそれを厳密な理論、推計方法を用いて追認したにとどまっている。もちろん、それ自体大きな進歩であり、過小評価すべきではない。若手の研究者にとっては、分析の厳密性がきわめて重要である。しかし、最新の手法を用いているからには、従来の分析では得られない、あるいはそれと矛盾する結論が得られるといった点が期待される。 さらに最新の理論が日本経済の特徴を十分考慮せずにやや安易に用いられているという点も気になる。例えば、第2、3章では代表的個人が市場利子率で自由に貸し借りできることが想定されているが、このような条件は日本ではいまだに成立していないであろう。また、第4章では、国際資本移動の程度が分析されているが、1980年以前に日本をとりまく国際資本移動が厳しく制限されていたのはほぼ自明の点と見られ、1970年代前半を境に大きく資本移動の程度が変化したとの結論には疑問が残る。 6、以上のような問題を残すとはいえ、これらは奥村氏にとっては今後の課題と考えられる。若い研究者が、分析の現実性よりも厳密性を重視するのはよく見られる傾向である。要は、経験を積むことによって厳密性を損なうことなく、より現実的に重要な問題を扱うための研究能力が身についているかどうかの問題であり、本論文はこの点に関して奥村氏が十分な水準に到達していることを明らかにしている。本論文で使用されたような最新の手法が、奥村氏によってさらに様々なマクロ経済分析に拡張されることが十分に期待されるし、また他の研究者の分析水準も本論文に刺激されて上昇することが期待される。 以上の理由で、審査員は全員一致で本論文を博士(経済学)の学位を授与するにふさわしい水準にあると認定した。 |