I. 石原俊時氏の提出論文「スウェーデン社会民主主義の生成・展開とその社会的基盤--市民社会と労働運動--」は19世紀末から20世紀初頭のスウェーデンにおける社会民主主義労働運動、すなわち、社会民主党と労働組合の運動の考察をつうじて、スウェーデン社会民主主義の歴史的・国民的特質を解明する試みである。論文の構成は冒頭の「序.課題と視角の設定」と末尾の「総括と今後の課題」にはさまれた4つの章と1つの補章から成り、このほかに図表(8図、13表)と引用文献目録が付されている。以下、各章について表題を示しつつ、その概要を紹介する。
まず「序.課題と視角の設定」では、スウェーデンの社会民主主義労働運動が「国民運動」として生成・展開してきたという特質に注目する。「国民運動」とは大規横な参加者を擁し、長期にわたり存続する自発的団体による特定の理念を担った運動と規定される。本論文が直接対象とする労働運働のほかに「自由教会運動」と「禁酒運動」がそのような国民運動を代表し、世紀転換期にこれらの運動は相互に参加者を重複させつつ、労働者階級、および、手工業者、小商人、農民などからなる「下層中間層」を中心に国民の3分の1をき込み、国民的課題である普通選挙権獲得運動を担っていた。運動参加者達は「団体生活」を経験することになるが、団体生活はその組織原則(メンバー間の平等)と運営方法(民主的な討議集会)をつうじて参加者に「自立と連帯の精神」と民主主義社会における生活の「技術、価値観、行動様式」を植え付けたと言われる。国民運動が「市民の学校」と言われる所以である。
本論文の問題意識として全考察を方向づけている基礎視角は、スウェーデンにおける労働者階級の形成過程と「団体生活」にみられる二重の性格の追求である。すなわち、「独自な階級意識を持った労働者階級の形成」が「労働者の’folk’(「国民」、「市民」)としての自覚」に同時に伴われるという二重性、ならびに、団体生活が「市民の学校」として槻能すると同時に労働者の階級的連帯を醸成する場となるという二重性、である。著者はこの二重性が「国民運動」における労働者階級と諸中間層との交流、したがって、労働運動が諸形態の自由主義的潮流に重要な影響を受けた事実に由来するとみなしている。そこで著者は、本論文の課題を「労働者階級と中間層、社会民主主義と自由主義との交錯という視角から、労働者階級の形成過程及び団体生活の二重の性格の実態及びその歴史的性格を明らかにすること」であるとするのである。
「第1章 世紀転換期スウェーデン社会民主主義の思想的特質--1897年綱領の分折」は、第4回党大会(1897年、ストックホルム)で採択されたスウェーデン社会民主党の最初の綱領とドイツ社会民主党のエルフルト綱領(1891年)との比較をつうじてスウェーデン社会民主主義の思想的特質に接近している。論点は多岐におよぶが、スウェーデン社会民主主義の独自性を表現する要点として、著者は、(1)「宿命論」の克服、(2)「現行国家に対する親和性」、および、(3)[変革の担い手」の3点を強調している。第1点は「窮乏化論」や「賃金鉄則」を否認して、上部構造の自律性を積極的に評価し、「社会発展の統御」を目指すという顕著な傾向である。スウェーデン社会民主主義における倫理性と教育活動の重視、自立せる人格形成の追求という顕著な傾向もこの系をなす。第2点は、国家=階級支配道具論を否定し、国家は「社会的公正」を実現するためにも機能しらるという理解に立脚している。第1点とも相俟って、スウェーデン社会民主主義者は「待機主義」に陥ることなく、改良主義的政治実践に積極的に参加しえたし、漸進的・平和的社会主義への道を進むことができた。第3点に関しては、綱領が「小農保護政策」を掲げていることからも分かるように、変革主体は労働者階級によって独占されるものとはされていない。著者は分解・没落論と小農保護が並存している1897年綱領の矛盾を指摘したうえで、1911年綱領の農業綱領部分で改正されることになるその後の農業問題論争の過程を追跡している。この過程は、分解・没落不可避論の教条を退けて「非資本主義的小生産者の存在」という現実を直視し、「農業と工業の発展のあり方」の差異を認識し、「小農・小借地農を保護し、協同組合に組織化」するという方針に到達するまでの修正過程であった。著者はスウェーデン社会民主主義運動における労働者階級と「中間層・自由主義勢力」との提携という顕著な特質との関連をこの箇所でも指摘している。
「第2章 スウェーデンにおける労働者階級の形成をめぐって--労働運動と団体生活」は、まずスウェーデン労働者階級形成の歴史的背景を農村社会の解体と工業化・都市化の進展にかんする基礎的データによって提示し、ついでスウェーデンの労働運動が製鉄業や製材業といった輸出向け基軸産業部門によってではなく、金属・機械工業や木材加工業における工場熟練労働者を中心に発展する事情を解明している。すなわち、製鉄業は森林(燃料源)内での穀物生産・牧畜を包括する半自給的生産を伝統的形態としており(「ブルク(bruk)]とよばれる)、ここではパターナルな労使関係が支配していた。製材業は季節労働者を主体とする孤立的・一時的集団形成を特徴としていた。これらの条件はいずれも組合の結成を遅らせ、困難にする条件であった。また、1870年代から新たな組織化を開始した「手工業熟練労働者」の場合も、印刷工・製本工などによって例示されうるように、独自の職業文化と特権意識に影響されて閉鎖的な「職業保護主義」と旧秩序擁護的な懐古主義がみられたため労働運動の主流に位置することにはならなかった。
これにたいして、金属・機械工業や木材加工業の「工場熟練労働者」の場合、製鉄業や製材業の場合にみられたような外部社会からの孤立もなく、消費生活面で使用者から自立しえた上、生産過程においても熟練にもとづく自立性を保持しえ。くわえて工場での凝集性という存在条件に恵まれて組織化が進んだ。農村工業出身者を主体とするこれらの労働者の場合、ギルドの伝統や伝統的職業文化から自由であり、職業保護主義に縛られることもなかった。たとえば鍛冶工が板金工を兼ねるといった職種間移動もみられ、「新入り」は「古株」の仕事を見て熟練を身につけていったから熟練・不熟練間の障壁も比較的低く「当初から産業別組合を指向」することとなった。結局スウェーデン労働運動をリードする主流となるのは、こうした工場熟練労動者の組合運動であった。
以上の考察をふまえて著者は中部都市エスキルストゥーナの金属・機械工業労働者に視野を絞り、その労働運動における団体生活の実態分析をつうじて人間類型的視点から「労働者文化」を論じている。そこでは研究史上にいわゆる「頑迷」(egensinnig)な労動者像の対極に位置するいわゆる「リスペクタブル」(skotsam)な労働者類型の形成過程が議論の中心に置かれている。「リスペクタブル」な労働者とは、「集会で議論し、学習サークルを結成し、酒飲みではなく、約束を守り・ 自己統御し、思慮深い労働者」だとされ、その揺籃となった「団体生活」について、集会、啓蒙・学習活動、娯楽活動、自助活動、その他の多面的活動が原資料にもとづいて具体的に紹介されている。そこに見られる注目すべき特徴の一つとして労働組合運動と地域社会との融合性がある。それは労働運動の集会所として生まれた「人民の家」や「人民の公園」や「労働者図書館」が地域住民に開放され、ここで労働運動と地域住民運動の文化活動が統合された点に明瞭に現れている。
「第3章 スウェーデン社会民主主義の生成--1880年代における労働組合運動と自由主義」は、ストックホルム木材加工労働者組合を具体的にとりあげて、1880年代におけるスウェーデン労働運動と自由主義との関係の推転という局面に集中しつつ分析している。
第2節「労働組合運動の展開と木材加工労組」でスウェーデン労働組合運動史における1880年代と木材加工労組の位置づけを簡潔に試みている。すなわち、1880年に成立したストックホルム木材加工労働者組合は、後続の労組のモデルとなるほどに画期的意義をもち、このため1880年代がスウェーデン労働運動の本格的開始期とされることになった。
第3節「19世紀スウェーデン社会と"association"」は、19世紀前半と後半の"association"(自由結社)の比較をつうじてスウェーデン自由主義の変貌を論じている。19世紀前半のそれがブルジョア上層を主たる担い手とする反絶対王政段階の自由主義運動であったのにたいして、19世紀後半の"association"は下層中間層を主たる担い手とする「新」自由主義的運動に変質し、ここに労働運動との交流の沃野が開かれることになった。19世紀後半の新自由主義的運動として、具体的には「ストックホルム動労者協会」(SAF)、「リング運動」(参加者千人ごとに「リング」という団体を形成する一種の消費協同組合運動)、ボジティヴィスト、A.ニュストレームが指導する「ストックホルム労働者協会」(SAI)の活動が紹介されているが、とくに「インディヴィデュアリズムとコレクティヴィズムの中間」に位置すると同時に、社会有機体説に傾斜するという特徴をもつSAIと木材加工労組との親和性が強調されている。
第4節「労働組合運動の課題と思想」は、木材加工労組の議事録、その他の原資料を活用して1880年代前半の同労組の討議と活動の具体像を掘り起こしている。そこで明らかにされた諸活動は、労動者の使用者への隷属(卑屈な態度、言葉使い)からの脱却、労働者間の競争の抑制、労働時間の短縮、賃金引き上げ、などの労使関係・労働市場の改善にかかわる諸要求から、市民的教養の獲得、各種の啓蒙活動、普通選挙権獲得、などの「市民化」運動、さらには、機械にたいする態度、生産協同組合論、および、社会民主主義観、などに関する討議を含んでいる。著者は、これらの論点に即して、下層中間層と労働者の態度の異同を指摘しつつ、両者の親和性とともに前者にたいする後者の批判の局面にも注意を喚起している。自由主義から社会民主主義への転換の重要な契機として、生産協同組合の提唱と資本・賃労働関係の批判や1885年10月のフォルマール(G.v.Vollmar)のSAFでの講演があった。とりわけフォルマール講演後の討議をつうじて木材加工労組内の社会民主主義への傾倒が急速に強まっていった。
「第4章 スウェーデン社会民主主義における教養理念の展開」は、1880年代から第1次世界大戦にいたる時期のスウェーデン社会民主主義運動を〓導する「教養(bildning)理念」の展開過程を跡づける試みである。ここでも考察は自由主義と社会民主主義の交錯、下層中間層と労働者階級の交錯、ならびに、市民意識と階級意識の相互作用、という本論文を一貫する問題意識に支えられている。
まず第2節「スウェーデン市民社会における教養理念をめぐる対立」では、19世紀スウェーデン市民社会とドイツ市民社会の比較がなされ、第1に、ドイツに比して多様なスウェーデンの中間層の存在諸形態が労働者階級との交流を可能としたこと、第2に、ドイツで「経済市民層(Wirtschaftsbu rgertum)」と対比される「教養市民層(Bildungsburgertum)」は、スウェーデンにも存在したが、その社会的影響力はより弱かったこと、が確認される。ついでスウェーデンにおける「教養市民層」の「教養理念」がC.J.ボストレームの哲学を中心として紹介されている。「ボストレーム哲学」は官僚層を公共性の担い手とする国家経営学の様相を色濃くもち、官僚制支配を正当化する保守主義的イデオロギーと規定されている。
つづいて、民衆を対象とし、「支配層の教養独占打破を目指す」自発的教育活動(folkbildning)の2潮流が論じられている。すなわち、「啓蒙主義的教養」としてアントン・ニュストレームの「労働者協会運動」に代表される新自由主義的ボジティヴィズム、また、「ロマン主義的教養」としてデンマークのN.F.S.グルントヴイに起源する「国民高等字校」運動を継承するスウェーデンにおける運動諸形態(「射撃手運動」、「新イェート主義」、「国民高等学校」)が、それぞれ考察されている。とくに後者は、ラテン語中心の教育を批判し、母国話による実学とナショナリズム教育への強い指向性に支えられていた。
第3節「社会民主主義労働運動における教養理念の受容と変容」では、まず、スウェーデン社会民主主義運動において、教育運動の軽重、および、自由主義にたいする態度(拒絶か継承か)を重要な争点とするアウグスト・バルム派とヤルマール・ブランティン派との対立・抗争と後者の勝利による決着が確認されたあと,スウェーデン社会民主主義運動における具体的教育活動の組織化、教育理論・文化理論、オスカル・ウールソンの「教養理念」とその具体的形態である「学習サークル」運動が順をおって考察されている。
スウェーデン社会民主主義における教育活動においても「民衆教育」(folkbildning)で指摘した2つの潮流に対応して啓蒙主義的とロマン主義的との2つの「教養理念」が対立していた。著者は、前者をリカルド・サンドレル、後者をカール・エリック・フォシェルンド、にそれぞれ代表させながら、その内容を検討している。前者は、(1)実用性、(2)市民的知識、(3)一般性、の3つを基準として「ブルジョワ的教育制度」の批判的継承と改造を推進し、「自己学習」をつうじて社会建設に参加しようとする「社会エンジニア」養成の構想と捉えられている。後者は、工業化・都市化の否定面を批判し、「農民」に人間存在の全体性を仮託する思想であり、教育は「農民生活の再生」を目指すものとされた。ちなみにフォシュルンドは小農創設運動の中心的人物でもあった。
しかしながら、著者によれば、この場合、ロマン主義的潮流もたんに伝統回帰的なだけではなく、すでに実証主義の洗礼を受けていたと捉えられ、また、啓蒙主義的潮流も科学的理性のみでなく情操教育の重要性を認めていたとされている。したがって、両者の対抗面だけでなく調和面にも注目すべきだというのである。この両傾向を統合するという位置づけを与えられて考察されるているのがオスカル・ウールソンの教養理念である。ウールソンによれば教養の本質は「自己と社会の相互的発展のプロセスを積極的に推進する..生活態度」、言い換えると、人類の文化遺産の継承・発展過程に主体的に参加することにあるとみなされた。そのために必要なのは理性・知性だけでなく感情・意志と行動力の育成・強化であった。こうした教養を身につける方法が「集団的自己教育」、すなわち、「学習サークル」であった。それは「図書館、読書サークル、講義」から構成され、とりわけ、「批判的読書」というサークル活動をつうじて新しい社会関係の形成を目指すものであった。「学習サークル」運動はウールソンが指導的立場にあった禁酒運動の中から始まり、地域社会に解放された労働運動に普及し、こうして国民運動の「団体生活」の核心を構成することになった。
「補章 世紀転換期スウェーデン禁酒運動における団体生活」は、労働運動とならんで重要な「国民運動」の一つとして挙げられる禁酒運動における団体生活の意義についてエスキルストゥーナの事例に即して具体的に論述している。
「総括と今後の課題」は、上に紹介してきた諸意での分析を踏まえて労働運動の団体生活を「『リスペクタピリティ』という価値観・規範にもとづき市民文化や伝統的な民衆文化を取捨選択しながら構成されたコミュニティ」と捉え、 「リスペクタブル」な労動者文化に見られる「文化的な複合性」を「労働者階級が様々な階層出身の者から急速に形成された」後進資本主義国的発展の所産であると同時に、労働者階級と中間層、および、自由主義と社会民主主義との交錯の所産であると捉え、ここに見られるスウェーデン社会民主主義の特徴が戦間期以降の「国民的諸利害」の統合と福祉国家建設を可能としたとの展望を述べている。
なお、残された今後の課題として、特に(1)労働者階級のより全体的考察の必要性、(2)スウェーデンの近代化過程における保守主義の役割の解明、および、(3)戦間期以降の考察の必要性、を指摘している。
II. 本論文の貢献は、わが国におけるスウェーデン研究一般、とりわけ、スウェーデン社会経済史研究の立ち遅れという困難な研究状況のなかで労働者階級とその形成過程の解明をつうじてスウェーデン社会民主主義の歴史的・国民的特質に接近しようとした開拓者的努力に見出すことができる。この論文が二次学術文献の渉猟はもとより、現地文献調査にもとづく同時代資料・地方文書館資料などを活用して当該テーマに接近しえていることも評価することができる。
テーマそのものも小国であるにもかかわらず顕著に平等主義的福祉国家を建設し、相対的に高い国民統合を実現しえたスウェーデンの社会民主主義とそれを支える労働運動の歴史的特質に接近しようとする重要かつ適切なものである。著者が世紀転換期のヨーロッパ諸国にみられた大衆組織・運動の北欧版とみられる「国民運動」とその「団体生活」に注目し、その具体像と特徴的な役割を提示しえていることも評価されてよいであろう。
ドイツ市民社会およびドイツ社会民主主義との比較を背景にもつ本論文の問題意識も一定の効果をみせているといってよい。スウェーデン社会民主主義を「国民運動社会主義」(folkrorelsesocialism)と把握する視点の背後には自由主義と社会主義の接続・断絶関係とともに中小生産者層の動向についての関心がナチス・ドイツの対極に据え置かれている。帝制ドイツの労働者と社会民主党が、中小生産者の共同体的意識によって支えられた「市民社会」から疎外されつづけていたのとは対照的なスウェーデンの社会民主主義の市民社会に根ざした発展は、著者によって印象的に解明されている。
その反面で本論文がいくつかの欠点をもっていることも否定できない。第1に、スウェーデンの労働者像という本論文の主題にかんしても、本論文に登場する運動家、思想家、哲学者、教育家、等の提言から再構成されたあるべき労働者像と実態分析から獲得された労働者の実像が混在しており、ある場面では前者が後者に優越している印象さえ与えている。その結果、一面化された労働者像が描かれたり、特殊的な労働者像が一般化されたりする危険性が完全には排除されえなかったのではないかという懸念が残る。第2に、理念型的考察が陥り易いこうした欠陥は一面では実態分析が相対的に弱体なことに関連している。いうまでもないことながら思想史的接近それ自体は何等批判さるべき事柄ではないが、社会民主主義と労働者階級の生成・展開をその社会的基盤から解明するという本論文の課題にとっては社会経済史的分析がもつと活用されて然るべきであったと思われる。第3に、スウェーデンにおける研究成果の紹介に大きな紙面が割かれる反面、論文構成、概念構成、論証手続き、等に関して著者独自の創意と工夫に不満が残るという印象を免れない。
このような問題点は残るにせよ、未開拓な研究分野に本格的に挑戦した本論文の著者が、今後、スウェーデン研究の最前線での活躍を期待させるに十分な力量をもつことは疑いえない。著者が自立した研究者としての出発点に到達したことを評価し、審査委員は全員一致をもって博士(経済学)の学位を授与するに値すると判断した。